TOWN

Illinois

Gillespie/Illinois


Route 66 in Illinois
 
= Gillespie =
<<WEST       EAST>>
Macoupin Country  Wikipedia はこちら  関連 HP はこちら  Gillespie の鉄道に関してはこちら
 


その昔 Gillespie には幾つかの石炭鉱山があって、その鉱山で繁栄した町で、 1875 年に鉄道が開通、1879 年には立派な駅舎もできていた。
 

街のランドマークの給水塔
2015年6月撮影
 

今の街並み
2015年6月撮影
 
鉱山労働者の組合が作られ、そのショップが、1914 年にイリノイ州で初めて出来た町。全盛期の 1930 年代には約 6000 人の人口も、 今は 3000 人程になっている。
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■ ■ Miners Co-operative Store ■ ■
Spruce とMacoupin St. の南西角 Gillespie IL  関連 Website はこちら
 
 

今も残る建物
2015年6月撮影
 
the Gillesie Cooperative Society が、鉱山労働者のニーズに応じてオープンしたショップで、労働者の選挙の日の 1914 年 12 月 8日 に正式オープン。 この日は、スコットランドのバグパイプのバンドが、式が終わるまで演奏し続けた。
イリノイ州で初めての鉱山労働者の共同組合のショップで、 今でも Spruce St. と Macoupin St. の南西角に建物はある。 2 号店は Springfirld にオープンしている。
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■ ■ The Illinois Coal Museum at Gillespie ■ ■
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石炭産業の遺産を保存し、それを伝えることを目的とした Museum で、 ここの鉱山関連の情報は重要で、地元、郡、鉱山会社、州の記録として利用されている。展示内容は 1880 年代から現在に至る Illinois の石炭鉱山の発展の歴史が大半。

2015年6月撮影

室内の展示 2015年6月撮影

当時の道具を展示 2015年6月撮影
 
1870 年代の人口 600 人の村から、6000 人の石炭鉱山ブームになった当時の個人的な話だけでなく、 Gillespie の新聞からの多くの情報は、 単に採炭のブームと言うだけでなく、 この街の豊かな歴史に深く根付いている。 石炭無しでは鉱山も、鉱山労働者も、Gillespieも存在しなかったろうし、 19 世紀、20 世紀初頭の目覚ましいアメリカの発展も、石炭でなされてきたし、 その石炭はここからだった。 石炭産業の未来を改善するためにも、過去を学ぶ必要がある。
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" Coal Mine Safety and First-Aid ",” Superior Coal Co. Mine Rescue Station " に関してもブログ内に記載。
■ ■ Cannna Theater ■ ■
108 E Chestnut St Gillespie, Illinois   関連Websiteはこちら  facebook ページはこちら
1921 年に “ the Pert Theater “ としてオープン、 1928 年、603 席の the Pert Theater として再オープンした。 1930 年9月からは the Frisnia Amusement Co. が再構築した the Lyric Theater として知られる。 Frisnia は 1953 年に the Lyric Theater を閉じ、 John Crawford の “ Autumn Leaves “ で 1956 年 10 月 18 日に the Cannna Theater として再開。 以降 the Canna Anna civic organisation が運営している。

 

2015年6月撮影
 
最近 Lyric Theater と名前を変えたが、2003 年に Gillespie 市へ寄贈され、 コンサートホールとして利用するために改修された。 2007 年新しい管理によってリースされ、名前を Canna Theater へと戻し、 5月18日に “ Shrek the Third “ でオープンし、 以降 映画上映をやっていたが、 2016 年に閉館した。
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■ ■ the Colonial Theater ■ ■
Main Street, Gillespie, IL   関連 Website はこちら&こちら
1920 年初めにオープンし、Wesstley Brothers が所有していた。 1928 年州で最も大きなシアターオルガンがあり、 1929 年に、Gillespie で最初のトーキー映画 “ Shopworn Angel “ の上映をやった劇場だったが、1930 年には閉館。ライブやプレゼンテーションに使用し、時に映画の上映をやるように変えた。
1940 年の初めには the Fristina Amusemwnt Co. が運営する街で唯一の劇場としてリストアップされ、 600 席の the Film Daily Yearbook に掲載されもしたが、 1945 年にクローズ。 Frisina は又 Gillespie の他の the Lyric ( Canna Theater ) をも運営していたが、 The Colonial Theater は取り壊された。
鉱山運動の会場としても重要な役割を果たした劇場。 1932年9月1日:約3万人の鉱山労働者が参加した the Progressive Miners of America 設立の為のコンベンション開催。 1933年2月;the Progressive Miners of America が コンベンションを開催し、 州内の 200 人以上の鉱山労働者と代理人が参加。
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■ ■ その他の見どころ ■ ■
Gillespie City Hall、Post Office ; 小さな建物だけど重要!
SS Simon & Jude Cathoric Church ;1879 年からの素晴らしい教会。
 
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Gillespie/Illinois  2016/08/12  route66jpinfo

Dwight/Illinois


Route 66 in Illinois
 
= Dwight =
<<WEST       EAST>>
Livingston County ( 一部は Grundy County )  Website はこちら  Wikipedia はこちら
本来の Route 66 が通っており、鉄道で栄えた町で、1891 年に建てられた駅が今も残る。
1854 年に Richard Pric Morgan. Jr. 、James C. Spencer、John Lathrop の 3 人が区画して町が出来た。しかし駅が出来、鉄道が開通しても、町には 2 つの木造の建物と給水タンクがあるだけで、発展が遅かったが、1850 年代末から 少し筒発展し始めた。

1869 年 the Chicago and Alton Railroad の Odell と Gardner 間が複線となり、 1872 年に Dwight に最初の煉瓦の家が建てられた。 発展が続くと、新しい鉄道の駅が必要となり、Henry Ives Cobb が設計した Richardson Romanesque の素晴らしい駅舎が建てられ、 又新しいダウンタウンに、1906 年 Frank Lloyd Wright 設計の Frank L. Smith Bank が建てられた。
 

街の入り口に立つ歓迎ボード。
2015年5月撮影
 
1879 年に Dwight の医師 Leslie Keeley が塩化金を使ったアル中患者の治療法を発表したことから " Keeley Institute " が作られ、評判となり、1900 年代までには、" Kelly Institute " が国中の殆どの州、そして海外にも作られた。
この建物は今 “ William Fox Developmental Center ” となっており、 又 1930 年、Illinois 州は Dwight に女性用の Oakdale Reformatory ( 少年院 ) を作ったが、ここは後に Dwight Correctional Center ( 更生センター ) となった。

今の街並み
2015年5月撮影
 
1921 年 Chicago から Springfield までの道路の舗装が終わり、これが 1926 年に Route 66 となる。 1964 年には、Dwight が起点となる I-55 が出来、新しいビジネスがどんどん出来た。
 

Illinois 州設置の案内板
2015年5月撮影
 
Dwight は Route 66 だけでなく、 その豊かな歴史の保存に街全体で力を注いでおり、 Route 66 を少し離れた所にもたくさんの歴史的に重要な場所がたくさん残っている。
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■ ■ Chicago & Alton Railroad Depot ■ ■
119 West Main Street Dwight IL  1891 年〜  Wikipedia はこちら
1891 年、有名な Chicago の建築家 Henry Ives Cobb の設計で建てられ、 一時は市役所として利用されていたが、 1999 年 Dwight の街は Dwight Historical Society へ駅を提供し、 現在 建物の北側は the Dwight Historical Society が本部と Museum として利用し、南側は the Chamber of Commerce の本部となっていて、 Dwight 地区関連の文化や歴史の保存に力を入れている。
 

2015年5月撮影
 
石作りの田舎風の Richardson Romanesque 様式で、基礎は Joliet Stone、 壁の上部は化石の貝で出来た Indiana からのブルーストーンで作られている。
駅舎は 1982 年に the National Register of Historic Places に指定された。
 

2015年5月撮影
 
駅は今も Chicago と St.Louis 間の Amtrak の乗客サービスを続けており、 2007 年 4 月までは Ann Rutledge ( Lincoln の初恋の女性の名前 ) 号が停車した。 Chicago のダウンタウンまでの乗車時間は 1 時間半。 2015 年 8 月に、古い駅の 1 ブロック南西の South Columbia St. に、 Amtrak の乗客の為の新しい駅ビルの建設が始まり、 Lincoln Service のルートの部分をスピードアップ化する為に公的資金が導入された。
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■ ■ Ambler’s Texaco Gas Station ■ ■
417 West Waupansie St. Dwight IL   1933 年〜  Wikipedia はこちら
Becker's Marathon Gas Station とも呼ばれている改修された古いガソリンスタンドで、もうガソリンスタンドとしては機能してはいないが、改修されビジターセンターとなっている。Route 66 沿いで最も長く ( 66 年間 ) 営業を続けたスタンドとして認識されている。

1933 年に Jack Schore が建てた建物で、 1936 年 Vermon Von Qualen が借りて、ガソリンスタンドを始め、Vermon’s Texaco Station として知られるようになった。 2 年以上続けた後、Vermon はスタンドを買い、すぐに Basil “ Tubby “ Ambler に売った。 Ambler は 1966 年まで所有し、 その後いくども所有者は変わったが、全盛期に一番長く所有していたので、 Ambler’s としての名前でより知られている。
 

2015年5月撮影
 
The National Regiater of Historic Places に建物がノミネートされた時代のオーナーは、Phil Becker で、9 才の頃からスタンドで遊ぶようになり、1964 年には働き始めた。その後 Earl Kochler、そして Royce McBeath を経て、 1970 年にスタンドを買って、運営を引き継いだ。
Texaco が突然ガソリンの供給を止めた時、Becker は Marathon Oil と契約し、 25 年以上も親しまれてきた名前を “ Becker’s Marathon Gas Station “ に変えて、 1996 年まで、妻の Debbie と共にスタンドの運営をしたが、 スタンドの閉所後、最終的に Dwight の町に寄付した。
 

2015年5月撮影
 
2005 年 古いスタンドの改修が始まり、 1940 年代の雰囲気の " Route 66 Visitor Center " が 2007 年 5 月にオープンした。 この建物は 1916 年に Ohio の Standard Oil が広めた “ house and canopy “ スタイルで、 3 台の元々あった Texaco のポンプは、 1960 年代の Marathon ポンプと置き換えられ、 ” Marathon “ の看板がサービルベイの屋根に付けられていたが、 この看板は今はない。 スタンドの北にはアイスハウスとしてかつて利用されていた別棟もある。 2001 年 The National Register of Historic Places に指定された。
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■ ■ William Fox Developmental Center ■ ■
134 West Main Street Dwight, IL  1879 年〜 ( 今のは 1903 年に建設 )  関連 Website はこちら   
以前 ” Keeley Institute “ として良く知られた施設で、 今だに発育障害を持つ人達を助ける事にフォーカスした治療をやっている。 ここはそのすばらしいステンドグラスの窓 ( 5 つの感覚を描いている ) と、 ここで治療受けたお金持ち ( Elliott Roosevelt や Theodore Roosevelt 大統領の兄弟 ) で有名になった。

2015年5月撮影
 

室内はシックなインテリアに家具。
2015年5月撮影
1879 年に Dwight の医師 Leslie Keeley が塩化金の注入によるアル中の治療法発見!と発表。すぐにアルコール中毒やドラッグ中毒の男性の為のデトックス施設 ” Keeley Institute “ ができ、アル中治療のパイオニアとなった。
「アル中は病気で、治療可能!」、との有名なスローガンで、 “ The Keeley Institute “ は最終的にアメリカ国内とヨーロッパに 200 箇所の分館ができ、1900 年までに塩化金の注入で 30 万人以上もの人々の治療をした。
1900 年の Keeley の死後、彼のパートナーで友人だった John R. Oughton が組織のトップとなり、” Kelly Club House “ として建物を改修したが、1902 年に火事で燃え、1903 年に再建された。
” Keeley Institute “ は、閉所縮小され、 建物は 1926 年 〜 1966 年の間は、帰還兵の運営病院として利用され、 通常の病院がアル中患者を扱い始める 1966 年まで運営を続けたが、 今は “ William W. Fox Developmental Center “ が入っている。
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■ ■ Livingston Hotel ■ ■
Keeley Institute の隣に立つ建物。 以前は Keeley のオフィスビルだった。 the Leslie E. Keeley Company が所有し、運営していたホテルで、 街の中心部にあり、旅人たちに人気だった。
 

素晴らしい外観。
2015年5月撮影
 
ホテルは 3 階建てのコロニアルで、大きな風通しの良い部屋で、バスルームが着いており、 室料は 1 日 $ 2.50 から $ 5.00 で、女性用のパーラーと広々としたダイニングルームが自慢だった。 その広いホール、大きなベランダ、などは建物の正面を飾り、最高の家具で、Keeley の患者達にサービスと宿泊設備を提供した。
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■ ■ John R. Oughton House = Country Mansion Restaurant ■ ■
101 West South St. Dwight IL   Wikipedia はこちら  創始者達の碑の flickr 画像はこちら
“ The Lodge “ もしくは “ Keeley Estate “ として知られている建物で、20 室あるヴィクトリア調の豪邸。 別の場所に 1891 年に W.T.Scot が建てた下宿屋 “ the Scott Boarding House “ だったのを、 1894 年に Keeley Institute を出た患者の為のクラブハウスとして利用するために、 今の場所へ移動させたが、 1 年後に “ Keeley Institute “ の共同創立者である John Oughton が自宅に改修し、 Oughton 夫人の名前が付けられて “ the Manse “ となった。 Oughton は亡くなる 1925 年までここに住んでいたが、 1930 年、ここは世界的に知られる “ Keeley Institute “ の患者の病室となり、 1965 年に “ Keeley Institute “ が無くなった後、Oughton の孫がレストラン “ The Country Mansion “ に変えた。 手仕事のオークとメープルの木製品とラウンジのオリジナルの暖炉は食事をする時に見ることが出来る。
 

2015年5月撮影
 
敷地には池だけでなく、2 つの別棟と馬車置き場、風車があった。 1978 年、Robert Ohlendorf とその妻がレストランを買い、名前を変え、 オリジナルのヴィクトリア調の建築の素晴らしい内装へと大改装をしたが、 外観の実質的な変更はなされなかった。
風車は Dwight の街が所有し、馬車置き場は公共の図書館となっている。 The Oughton House と別棟は the National Register of Historic Places に指定されている。 中にある The Oulendorf Bakery は Dwight で最古のパン屋さん。
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■ ■ Wind Mill ■ ■

101 W. South Street Dwight IL  関連 Website はこちら

2015年5月撮影
 
John Oughton の所有地にある素晴らしいランドマークで、 8 角形 5 階層の鉄枠作りで、 Oughten 家の所有地へとポンプで水を汲み出す為に1896 年に作られた。 2005 年に改修され、The National Register of Historic Places に指定されている。
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■ ■ First National Bank of Dwight ■ ■
122 West Main Street Dwight IL  1905 年〜  Wikipedia はこちら
駅の向かいに立つ花崗岩の建物で、 不動産業者で有名な地元民で、アメリカ下院議員上院議員をやった Frank L.Smith が、Frank Lyioyd Wright に依頼して、1905 年に建てた銀行。 1960 年代に Wright のオリジナルデザインを基に改装したが、 今だに建っている彼が設計した 3 つの銀行の 1 つで、 当時の銀行の権威の象徴共言える。
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■ ■ the Bank of Dwight ■ ■
132 East Main Street Dwight, IL  関連 Website はこちら
David McWilliams が 1855 年に建てた州が借り上げた最古の銀行で、 元々の借り上げのまま、今だに営業が行われており、州で 3 番目に古い銀行。

2015年5月撮影
 
現在の建物は 1990 年に建てられ、 銀行の中のドームにはウイーンのアーテイスト Oskar Gross が描いたオリジナルの壁画がある。
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■ ■ Old Route 66 Family Restaurant ■ ■
105 S Old Route 66 Dwight IL  Website はこちら  Facebook はこちら
 

2015年5月撮影
 

2015年5月撮影
 

2015年5月撮影
 
Route 66 沿いで素晴らしい料理を出してくれる事で人気。 朝食、ランチ、デイナー OK で、フレッシュチリとスープ、ホームメイドのデザートがおすすめ。 配達、テイクアウト、ケータリング、バンケットなども可能。 Route 66 のおみやげ品や記念品も買える。
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■ ■ The Paulsen-Strufe Motel ■ ■
354-398 S Old Rte 66, Dwight, IL  関連 Website はこちら
1930 年代から 1950 年代までの Route 66 の全盛期に、モーテルのチェーンは無く、 地元の家族が経営していたのがほとんどで、 1935 年に建てられたここは、宿泊だけでなく、家族や近所のたまり場となっていた。 モーテルはオランダからの移民 Marlin & Metha Pailsen が所有するガソリンスタンドとして始まり、 彼らは ”Paulsen Court” と呼ばれるカーポート付きの 5 部屋を作った。
1952 年 John & Dorothy Strufe が事業を買って、”the Strufe Motel” をやり始め、 1959 年には、改装してカーポートを作った後、”the Arrow Motel” と名前を変え、 Strufe 家と Paulsen 家の子供たちはここで成長し、家族経営のモーテルは順調に続いた。 部屋に家族の女性の名前を付けていたので、 宿泊客達は、最後に泊まった女性の名前をよく覚えていて、再度同じ部屋に泊まりにきたものあったが、今はアパートになっている。
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■ ■ その他の見どころ ■ ■
Pioneer Gothic Church ;
   1857年からのIllinois 州では現存する木枠の Carpenter Gothic 教会の珍しい例。

the Prairie Creek Public Library ;
   1895 年頃に建てられた the Oughton Estate の馬車置き場を改造して1988年から。

Route 66 Java Stop ; 今は無きユニークな建物。
Big Al’s Hot Dog ; 赤と白の派手な Diner だったが、今はクローズしている。
Smaterjax Grill & Pizzeria ; カーデイーラーを改造してのピザハウスだったが、今は廃墟に。
That 50's Place ; 1950 年代の満載の Diner。
Pete's Restaurant ; 素晴らしいネオンサインがある。
Repair Shop with Ferrari Mural ; Ferrariの壁画が正面にあるショップ。
Route 66 Tire & Auto ; 車や農業用のタイヤの販売。オイル交換や調整などのスペシャリスト。
M2A Farm ; 珍しい小動物を飼い、その製品も販売。
 
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Dwight/Illinois  2016/06/28  route66jpinfo

Odell/Illinois


Route 66 in Illinois
 
= Odell =
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鉄道が開通する前は、全く住む人がいなかった土地だが、 1852 〜 1855 年に入植者が住み始め、農業が発達してきた。 鉄道の建設と調査をする鉄道エンジニアだった Sydney S. Morga ( 1823年 〜1884年 )、と Henry A. Gardner ( 1816 年 〜1875 年 ) が 1856 年に区画し、街が出来、少し筒建物も建ちはじめ、1887 年の 2 月 Odell の街が確立された。

緑豊かな美しい町並み
2015年5月撮影
 
初期の Odell は鉄道の街で、 アメリカで最も豊かな農業地帯にあったので、穀物の集荷場となり、 1870 年末迄、Odell からたくさんの穀物が鉄道で出荷された。

町のランドマークである給水塔
2015年5月撮影
 
1900 年までに人口も増えたが、輸送形態が鉄道から車に変わっていき、 1921 年、州は the Chicago–Springfield East St.Louis Road として知られる道の舗装プロジェクトを開始。 それが 1922 年に Route 4 となり、1926 年それが又 Route 66 となった。 Route 66 は Odell の中心部を通っているので、交通量も多くなり、 1933 年には highway の下を通る歩行者用地下道が作られたほどだったが、 1946 年にバイパスが作られるや、交通量は減り、その後は寂れた町となっている。
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■ ■ Miller’s Standard Oil Gas Station ■ ■
400 Siuth West Street Odell IL  1932 年〜  Wikipedia はこちら  関連 Website はこちら&こちら&こちら

2015年5月撮影
 
1932 年、請負業者だった Patrick O’Donnell は Odell の Route 66 沿いの小さな土地を買い、 そこに当時国内で人気だった Ohio デザインの 1916 Standard Oil を扱うガソリンスタンドを建てた。 このひさしのあるガソリンスタンドの形は良い雰囲気だったので、旅人達に人気となっていった。
 

2015年5月撮影
 
1940 年代末、O’Donnell は、近くの 9 つのガソリンスタンドとの競争力を付けるために、 ガレージと修理工場の建物に 2 つのガレージを増築。 ガソリンスタンドは Route 66 の全盛期の間、変わらずに人気で、 1950 年代までガソリンを売っていたが、 O’Donnell が建物を貸した後は、 Sinclair を売り始め、後にPhillips を売っていた。 それから 1970 年代末まで車のボデイショップとなり、 1975 年に閉店した。
 

2003 年 Route 66 Caravan の 1 箇所に選ばれている。
2015年5月撮影
 
その後 改修されることも無く、寂れていたが、 1997 年 the National Register of Historic Places に指定されたのをきっかけに、 the Illinopis Route 66 Association、the Village of Odell、Illinois State Historic Preservation Office、the National Park Service Route 66 Corridor Preservation Program、Hampton Inn Landmarks らの協力によって、 以前の輝きを取り戻すように改修され、 Odell の Welcome Center となり、今や Route 66 沿いの人気の場所となっている。 毎年最も素晴らしい Route 66 の名所に贈られる the National Historic Route 66 Federation Cycus Avery Award を保存プロジェクトが 2002 年に受賞している。 開いていない時に訪れても、 デジタルオーディオプレイヤーでいつでも歴史の説明が聞けるようになっている。
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■ ■ Odell Subway Tunnel ■ ■
1937 年〜  関連 Website はこちら&こちら

2015年5月撮影
 
St. Paul’s Church の向かいに “ Subway” として地元で知られる Route 66 の下を通る歩行者用の地下道があった。 これは Odell で唯一のもので、子供達が教会と St.Paul School との間を安全に渡れる事を考えて、 1937 年に作られたが、 1947 年にバイパスが完成すると、もはや必要性もなくなって、 1950 年代には完全に閉じられ、埋められてしまった。 それの階段の最初の 3 段と手すりが the Route 66 Association of Illinois によって 2006 年春に整備され、残されている。

トンネルの横に立つ説明板
2015年5月撮影
 

説明板にある昔の子供達がトンネルを渡っていた時の写真
2015年5月撮影
 
Route 66 を安全に渡る為にトンネルが必要な程交通量が多かった事は、 ほとんど人も車も通らない今の状態からすれば、信じられない事だが、 ここは Route 66 の歴史において重要かつドラマチックな遺産となっている。
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■ ■ St.Paul Catholic Church ■ ■
313 W Hamilton St, Odell, IL   1954 年〜  関連 Website はこちら

2015年5月撮影
■ ■ St.Paul Cathoric High School ■ ■
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1895 年の不況期に、Rev. Aloysius Selva からの $ 12000 の寄付により、 寄宿制の女子高校ができ、Notre Dame de Namur が運営していた。 最初の卒業生は 1902 年の 5 人で、 1914 年に、施設が出来、Springfield からドミニク派のシスター達がやってきて、運営に携わるようになった。

St.Paul Cathoric High School とスクールバス
2015年5月撮影
 
学校は元々 historic Route 66 沿いにあり、1947 年に Route 66 の西へ 2 ブロック移転した。 旧校舎は 1966 年に閉校となり、1971 年に壊され、 その残骸は1954年に建てられた教会と小学校の礎石となっていて、 建物が元々立っていたお向かいの場所は、教会と小学校の為の駐車場として使われている。 小学校の隣には、修道女達の住居があり、住居の隣に教会がある。
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■ ■ Mobil Gas Station ■ ■
highway の西側に立つガソリンスタンドの廃墟。 1950 年代〜 随分前から廃墟となっているが、 Mobil Oil のトレードマークの赤い馬、ロゴがきれいに残っていて、 その歴史を語りかけているようにも思える。
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2015年5月撮影
■ ■ その他の見どころ ■ ■
Pour Richards Tap & Dining ; 1979年からのファミリー向けレストラン
Rentz’s Tap & Dining ; Odellのランドマークであるステーキハウス。
the Wishing Well Cafe ; 2009年からのケータリングも出来るレストラン
Union Cemetery ; 古い墓地
 
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Illinois  2016/03/27  route66jpinfo

Chenoa/Illinois


Route 66 in Illinois
 
= Chenoa =
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1854 年に、穀物輸送施設、農場の小作の為の小売と交易を提供するセンターを作った Mathew T.Scott によって作られ、鉄道の街としてスタート。 彼が 1856 年に街を区画した。 街の名前は Kentucky River に付けられた Native American の名前から来ており、Scott が付けた。 同年 the Chicago and Alton Railroad、後に Peorica Oquawk Railroad が交差して敷かれ、 Route 66 と U.S.24 も Chenoa で交差していたので通行量も多くなり、街は繁栄した。

町のランドマークの給水塔
2015年5月撮影
 

町の入口
2015年5月撮影
 

町の中心の公園にはガゼボが。
左奥に Chenoa Phermacy の看板が。
2015年5月撮影
 
町で長きに渡って “ Schuiman’s Drug Store ( 今の Chenoa Pharmacy ) “ と ” Union Roofing “ がビジネスを続けており、今も成長している。 後者は今日 Illinois 州で最大の屋根葺きの請負業者。 他にも幾つかの小さな企業が営業しており、多くのアンテイークショップが Chenoa を本拠地としている。
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■ ■ Chenoa Pharmacy = Shuirman’s Drug Store ■ ■
209 Green Street Chenoa IL  1889 年〜   Website はこちら
1889 年に “ Shuiman’s Drug Store “ としてオープンしてから、 薬・カード・ドライクリーニング・ギフト・雑貨を扱うだけでなく、 処方箋の窓口として、100 年以上もずっと利用され続けてきた地区で最長、Route 66 沿いで最古の歴史ある薬局で、 今は 4 代目の Rob Taveggia がオーナー。
創設当初からの木の床、作り付けの家具、そして興味深い写真が沢山展示された 1950 年代の雰囲気に浸れる場所で、 2005 年に Route 66 の殿堂入りを果たした。
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おしゃれな看板
2015年5月撮影
 

ショーウインドーには。
2015年6月撮影
 
■ ■ Selz Royal Blue Shoes Mural ■ ■
224 Green St. Chenoa Illinois  Selz Royal Blue Shoes に関しての Website はこちら
とても美しい ”the Selz Royal Blue Shoes” の壁画。 この壁画は隣の建物が壊された時に発見され、その後再建された。 The Selz Royal Blue Shoes はドイツからの移民 Rolf Selz が起こした会社で、 1940 年代に閉社。
Elizabeth 女王の靴を作っていたので、 広告に ” Royal ” を付けて良い、とのお許しを頂いた会社だった。
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2015年5月撮影
 
■ ■ Matthew T. Scott House ■ ■
227 1st Avenue Chenoa IL  1855 年〜  Wikipedia はこちら

2013年9月撮影
 
Chenoa の町の創設者 Matthew T. Scott とその妻 Julia Green が住んでいた家で、 最初は Kentucky Cat Slide として知られている形式で 1855 年に建てられ、 雇い人達がその 4 分の一に住んでいたが、 その後、1863 年に正面を Georgia スタイルに改修した。
家には Julia Green が創設した ”a Doughters of the American Revolution ( DAR )” の部屋や 、 ”a Chenoa” の部屋があり、 この時代の家の例としては素晴らしいものである。

家には時々 Adlai Ewing StevensonⅠや、 その従兄でベルギー大使の James Stevenson Ewing などがよく立ち寄った。 Adlai Stevenson は Matthew T. Scott の義理の妹の Letitia Green と、1866 年にこの家で結婚式をあげ、 1868 年に最初の子ども Lewis Green Stevenson がこの家で生まれた。 後に Matthew T.Scott の偉大な姪 Mrs. Elizabeth Stevenson が買い、改装し、 The National Register of Historic Places に登録された。
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■ ■ Chenoa Historical Museum ■ ■
239 Green Street Chenoa Illinois  関連 Website はこちら

2015年5月撮影
 
Chenoa の町関連の歴史的なものや記念品を収集し、保存する努力が大事だと感じた興味深い市民グループ Chenoa Historical Society によって 1990 年に作られた。 組織は非営利団体として Illinois 州の法の元で今は守られている。
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■ ■ the Ritz Theater ■ ■
134 S. Veto Street, Chenoa, IL   関連 Website はこちら
the Rex Theater の場所に建てられ、 “ the Lyceum “ と呼ばれ、300 席ある劇場として、1930 年代初めにオープンした。 “ The Ritz “ と言う名前で、1938 年 2 月 8 日にオープンしたが、 1940 年 12 月 19 日の火事で焼け、1941 年 3 月に再建されて、 1960 年代に閉所するまで運営が続けられた。 マーキーは取り除かれたが、建物は今だに建っている。
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■ ■ その他の見どころ ■ ■
Chenoa Depot ; ダイヤモンド型のユニークな駅舎も今は無く。
Mural ;東側のゴーストタウン Ballard の今は無き Grain Elevator も描かれている。
Chenoa Public Library ;
Steve's Cafe ; 建物は壊されたけれど、殿堂入りしている。
Red Bird Antique Mall ; 雑貨だけでなく、古いトラクターも扱っているモール。
Church ; 古い教会がたくさん。
the Memory of Maude Henline
 
<<WEST EAST>>

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Chenoa/Illinois  2016/02/07  route66jpinfo

Girard/Illinois


Route 66 in Illinois
 
= Girard =
<<WEST       EAST>>
Macouoin County  HP はこちら  Wikipedia はこちら
最初の入植者はフランス人の Girard で、Mill Creak の土手に製材所を作った。 その後、次々と入植者が増えると、 古い Indian Trail ( Indianの道 ) に沿って、Springfield と Alton までの Stageline ( 幌馬車の道 ) が作られ、これが後の Illinois State Route 4 と Route 66 になる。

1834 年、Girard の名前を取って、町が出来るが、 20 年以上も町として認められず、 1852 年、the Chicago & Alton Railroad が敷かれ、 1853 年に区画され、1855 年にやっと町として独立した。

その後石炭鉱山が次々とでき、ピーク時には 9 つの鉱山があったほど繁栄、 1893 年には ”Dodson’s Opera House” も作られ、文化面でも充実した町となっていたが、 1909 年からの数度の大火で、広場の大半が消失。 それに少し筒石炭も枯渇。中心的な the Girard Coal Mine が 1922 年に閉山すると、寂れていった。

Welcome Board
2014年10月撮影

1926 年の Route 66 の通過で、、少しは活性化したが、 1930 年のバイパス化で、町は又寂れていく。 古き良き時代の面影を残した Square は人気で、訪れる人も多い。
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■ ■ Whirl-a-Whip Drive-In ■ ■
309 S. Third St., Girard IL  1955 年〜
1950 年代の雰囲気の Diner で、50 種類ものアイスクリームとタコスで有名。 モルツ、シェイク、バナナスピリット、サンデーやハンバーガーなどもある。 Whirl-a Whip とは 1950 年代から使っているアイスクリームマシンの名前。

Whirl-a-Whip Drive-In
2014年10月撮影

1957 年に地元出身の Anita Barnes が隣町 Virden 生まれの夫 Brent と始めたレストランで、 誰もが子どものようになれる場所で、 Route 66 沿いにあったので、旅行者と地元の人達に人気だったが、2011 年にクローズ。 が新しいオーナー Tony Paquette の元、2013 年に再オープンした。
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■ ■ the Baptist Church ■ ■
310 W Madison St, Giard IL  facebook ページはこちら

2014年10月撮影

Route 66 沿いに 1865 年に建てられ、1902 年に改築されたひときわ目立つ美しい教会。
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■ ■ the Square ■ ■
1857 年に Willimam Lancaster によって、レンガの広場が作られ、 その周りにレンガの建物が建てられ始め、町の中心的な場所となっていく。

2014年10月撮影

その後、数度の大火で、被害を受けるが、 再度レンガ作りの建物が再建され、 今も昔の名残を留める場所となっている。 特に有名な " Doc’s Soda Fountain " やアンテイークショップ等が良い雰囲気を作っている。
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■ ■ Doc's Soda Fountain and Deck's Pharmacy ■ ■
133 S. 2nd Street Girard, IL  the Square の一角に。  関連 HP はこちら&こちら
1865 年に Dr.Clerk が建てた Girard 最古のビルで、2 階にオフィスがあった。 1884 年に彼はここで薬局を開き、その後 Lewis Deck がオーナーとなり、 Deck 家が 2001 年まで 3 代に渡って、Deck’s Drug Store の経営を続けてきた。
5110
2014年10月撮影

その建物に、2003 年 Bob and Renae Ernest がオールドファッションスタイルの Soda Fountain を開き、 それが 1800 年代の後期に戻れる場所として Route 66 沿いの人気店となっている。 軽いランチを出し、アイスクリームや 50 年代のスイーツ等もあれば、高級家具やギフトも売っている。 Ernst 家は近くの Furniture Décor と Renae’s Window Fashions and Upholstery も経営しており、 以前のオーナー Bill and Bob Deck は店内に大規模な「 Drug Store Museum 」を作って、Doc’s の魅力を更にアップしている。
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■ ■ その他の見どころ ■ ■
Chloe & Company Family Restaurant
the Ring Building、Ornamental Sheet-Metal Panels & Cornice Pediment、Former People’s Bank、Ghost Lunch Room、Collapsed Buildings、Prairie Eye Center
Illinois Terminal System Rail Road Depot、Henke’s Hidden Treasures、Grand Army of the Republic Soldiers Monument、Arch at Girard Public Schools、Post Office、First United Methodist Church
 
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Girard/Illinois  2015/11/21  route66jpinfo

Virden/Illinois


Route 66 in Illinois
 
= Virden =
<<WEST       EAST>>
Illinois 州の Macoupin County と Sangamon County にまたがる町  Wikipedia はこちら
古くは石炭鉱山の街で、1898 年に石炭鉱山労働者のストライキが起こった事で有名。

the Square に設置された街の歴史の案内板
2015年5月撮影
1838 年頃、St.Louis から Springfield と Vamdalea への Stageline (幌馬車の道) が交差する所を、後に街の名前となる John Virden が買って、ホテル ( Junction House として知られる ) を建てた。この頃から街が出来始める。

大きな石炭の層がある鉱山の街で、 the Chicago and Alton Railroad が開通した1850 年代以降、遠距離まで石炭を運ぶことが出来るようになると、 更に繁栄を続け、1852 年に街が成立した。

街は反映し続けたが、住民の多くの鉱山労働者の生活は厳しく、 会社への不満も多かった。 Virden で中心となる鉱山 the Chicago-Virden Coal Company は、 Chicago でのビジネスの縮小を恐れ、 組合を作ることを許さず、又組合が要求する賃金を払わなかった。 そして鉱山の頂上の周りに木の柵を作り、南部からのアフリカ系アメリカ人を鉱山労働者として雇った。

彼らがこの過酷な労働状況から逃げだそうとしている事を知った会社は、 組合の要求する賃金を受け付けず、 代わりに会社は掘った重さで支払うことを約束したが、 それは石炭 1 トンに付き、たったの 30 セントだった。 これにストライカー達は激怒し、 1898 年に激しいストライキが起こった。
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■ ■ Virdenの戦い=ストライキ ■ ■
関連 HP はこちら&こちら
1898 年10月12日、ストライキを起こす労働者達を乗せた列車が Virden へと入ってきて、 会社がある頂上の柵の外側で停まった。 紛争になるとわかっていた鉱山のマネージャー達は、警備隊とで列車を取り巻き、 ストライカー達が降りて列車を囲もうとした時、ガードマン達は火を放ち、 列車の周りで撃ち合いとなり、双方で死者やけが人が出たが、 最終的にストライカー達が勝った。 この戦いによって労働者達は労働の権利を勝ち取ったが、 犠牲が大きかったので、その碑があちこちにある。
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■ ■ Virden 歴史の壁画 ■ ■
関連 HP はこちら
2004 年 8 月 27 日、Virden 市民は、Illinois のアーテイスト John Hubbell が Virden の歴史を描いた壁画を、 街の the Square に飾った。 19 feet X 50 feet の壁画は鉄道や Historic Route 66 等の輸送の重要性を強調している。
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2015年5月撮影
■ ■ the Square ■ ■
往時の雰囲気をそのまま残す街の中心部の広場。 美しい芝生の真ん中にガゼボ ( 東屋 ) があり、周囲を古い建物が囲む。
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広い芝生の真ん中にガゼボが。
2015年5月撮影
 
 

2015年5月撮影
 
 

2015年5月撮影
 
■ ■ Battle of Virden Monument ■ ■
the Square の北東にある 彫刻家 David Seagraves が作った大きなブロンズの壁画。
壁画、彫刻に関する HP はこちら

2015年5月撮影
 
1898 年の石炭鉱山のストライキを記念して建てられたもので、 亡くなった12人 (その内の 8 人は鉱山をサポートするために、 周りの町から来た鉱山労働者 ) の名前が彫られた大きなブロンズのレリーフで、 ガードマン達がストライカーとその家族にウインチェスター銃を向けている状況と、 Chicago & Alton の線路のシンボルが。
又アフリカ系アメリカ人の鉱山労働者を集める為に、 Alabama の Birmingham の the Chicago-Virden Company が撒いた不当な募集チラシのコピーも彫られている。レリーフの下部には Mt.Olive IL の近くに埋葬されている鉱山の権利活動家 Mary Harris Jones ( “Mother Jones” ) の姿がある。 彼女はこのストライキで、重要な役割を果たした。 彼女に関してはこちら
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■ ■ Virden 郵便局の壁画 ■ ■
211 N Springfield St, Virden, IL  関連 HP はこちら
大恐慌の間、合衆国政府は国中のあちこちの公共の建物の中に芸術作品を飾らせたが、1939 年、Virden の郵便局は有名なイラストレーターで、作家でもある James Daughetry に、 "Illinois Pastoral" ( Illinois の牧歌 ) というタイトルの壁画を描かせた。 これは素晴らしい作品で、彼の最高傑作の一つとなっている。
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2015年5月撮影
■ ■ Soldiers & Sailors Memorial ■ ■
the Square に建てられた南北戦争、スペインアメリカ戦争の従軍兵を称える記念碑で、Casper Bubert の作品。 Bubert は Gettysburg やアメリカのあちこちでその作品が見られる多作の彫刻家。 記念碑は 1902 年に Virden 市創立 50 周年祝賀の一部として建てられた。
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2015年5月撮影
■ ■ Shriver Farmstead ■ ■
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Northwest of Virden の郡境にある歴史ある農場で、いくつかの新しい別棟と2エーカー (0,8ha) の土地を含む古い農家、納屋、燻製小屋からなる。 オーナーの John Ryan が 1858 年から 1860 年にかけて数軒の農家を建てた。 農家は四角の柱による正面玄関、切妻のイタリアンデザイン。 農場に2 つ建てられた家の一つの納屋は、いくつかの納屋のスタイルの要素を組み込んだ New World Dutch に影響されたデザインだった。
Dr.William Shriver が 1890 年に購入し、それ以来家族が所有し続けている。 農場は the National Register of Historic Places に登録されている。
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■ ■ その他の見どころ ■ ■
First Presbyterian Church ; 111 S Church St Virden, IL
Silvernicks New & Used ; 231 East Jackson Virden IL 関連 HP はこちら
United Methodist Church ; 03 S. Church Virden, IL
Punkie’s Palace Bed & Breakfast ; 34382 E. Frontage Rd. Virden IL  1888 年〜
War Monument-Virden Cemetery ;  関連 HP はこちら
City Hall ;

Virden City Hall
2015年5月撮影
 
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Illinois  2015/10/27  route66jpinfo

Nilwood/Illinois


Route 66 in Illinois
 
= Nilwood =
<<WEST EAST>>
Macoupin County  Wikipedia はこちら  歴史に関しての HP はこちら

街の入口に立つ標識
2015年5月撮影
 
1829 年、John A. Harris が最初に入植した後、少し筒入植者が増えていったが、 住民のほとんどは農民で、とうもろこしを作っていた。
the Chicago and Alton Railroad が、Springfield と St.Louis 間を走るようになり、 その重要な駅の一つとして、1852 年に Nilwood 駅が完成。 後に鉄道は the Gulf, Mobile, and Ohio (GM&O) となり、 今日 GM & O の線路を Amtrak が走っている。
Samuel Mayo と Philander Braley によって村が区画されると、 1857 年に土地ブームが起こり、人口も増え、1867 年に町が独立。 新しい教会、学校、色々なお店もすぐに出来た。 町の名前は蒸気機関車の技師が付けたが、意味は「No Wood」(木がない)。 蒸気機関車の蒸気を作る為に燃やす木がない町だった。
1862 年に the Methodist Church が、 1869 年に the Baptist Church が建てられ、 2 つの教会の真ん中に2教室の学校もできた。
1873 年の2月13日、John Bennyworth が石炭鉱山を開き、 Nilwood に鉱山技術者を来させたので、村は次第に成長していった。
Nilwood State Bank が 1908 年にでき、 20 世紀の初めには石炭鉱山の繁栄で、街は栄えたが、 石炭鉱山 Union Fuel Company Coal Mine が 1908 年に閉山。 再オープンしたが、1920 年に完全に閉山すると、少し筒冷え込んでいき、 大恐慌の間の 1933 年には銀行も閉店。 1997 年には店も学校も無くなって、 今は静かな町となっている。
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■ ■  Star Flag Barn  ■ ■

2015年5月撮影
 
Nilwood の街に入る少し前にある星条旗が書かれた納屋で、草原の真ん中にポツンと立っている。
この星条旗は Betsy Rose Flag ( 1790 年〜 ) で、 13 の星と13 本の線の星条旗で、アメリカ合衆国の最初の州となった 13 の植民地を表している。
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■ ■  Famous Turkey Tracks  ■ ■
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町の西側の 1920 年代の Route 66 の舗装部分に残っている七面鳥の足あと。
世界中の Route 66 ファンの間では有名だけれど、地元ではさほどでもない。 1926〜1930 年に Nilwood の南の Route 66 を舗装する際に、 乾いていない舗装の上を七面鳥が歩いて、34 個の足あとを付けた。 1920 年代に Illinois には野生の七面鳥はいなかったと思われるので、 多分近くの農家で飼われていたものの足あとだ、と思われる。

Courtesy of David Taylor
http://urbex.50megs.com//Places/USA/Route%2066/Kansas/Kansas.html
 
2006 年に、足跡を埋め、目立たなくするために白いペンキを塗ったが、 2007 年にはそれが剥がれたので、 足跡が目立つように、周りに白いペンキで枠が描がき、 すぐ横に小さな 66 のシールドも描かれて、注目されるようになった。 今では Route 66 沿いの名所に。
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■ ■  The Iron Sleds Club-House  ■ ■
10 Morean St. Nilwood Illinois  1976年〜  facebook ページはこちら
壁にたくさんの U.S.66 のイラストが。

2014年10月撮影
 
Route 4 と Route 66 沿いでいまだに営業している。 色々なチャリテイや募金活動で広く知られているし、 アメリカ国内だけでなく、世界中からやってくる旅人たちの立ち寄り場所となっており、 バイカー達を歓迎するだけでなく、サポートをしている。
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■ ■ Nilwood の廃墟と建物 ■ ■

         Nilwood Post Office
              2015年5月撮影

            Nilwood Village Hall  
                 2015年5月撮影
繁栄した時代を思わせる多くの廃墟が残る街。
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Nilwood/Illinois  2015/07/06  route66jpinfo

Hamel/Illinois


Route 66 in Illinois
 
= Hamel =
<<WEST EAST>>
Madison County  HP はこちら  Wikipedia はこちら
1818 年に街が出来、1955 年にやっと独立した村となった。今だに Route 66 の恩恵をを受けている小さな町。 Al Capone は、Mitchell の Luna Cafe へと逃げる際に、 時々 Hamel を通っていった、と言われている。

町の入口の Welcome Board
2014年10月撮影
 
水道、下水道は良く整備され、道路の状態も良いし、 St.Louis から 30 分と、大都会に近いながらも、 居心地の良い親しみのある町で、 この数十年の間にベッドタウンとして人気となり、町が成長してきた。

こんなかわいい Welcome Board も。
Courtesy of David Taylor
http://urbex.50megs.com//Places/USA/Route%2066/Route%2066.html
 
St.Louiis までは、たくさんの鉄道が行き来しているし、 Mississippi 川に近いので、物流の輸送の便利も良く、 トラックの会社も何社か事務所を置いている。
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■ ■ Meramec Cavern Advertising Barn ■ ■
関連 HP はこちら&こちら
Stanton Missouri にある巨大な鍾乳洞の宣伝が書かれた納屋。リストアされていて、今もきれいな形で残っている。 黒と白のカラーデザインは 1930 年代からので、 1950 年代からはカラフルなデザインとなる。

Courtesy of Kathy Weiser,Legends of America.
http://www.legendsofamerica.com/66-main.html
 
鍾乳洞 Meramec Cavern は 1933 年に観光用にオープンしたが、 初日にはたったの 6 人だけが訪れただけだったので、 ビジネスマン Les Dill は、もっとお客を呼びこむ方法を考えていた。
当時は、不況の波で人々は洞窟への興味よりも、仕事を見つける方に意識がいっていて、入場料の 40 セントさえも惜しまれる時代だった。

まずは、ボールルームとして知られる洞窟の中の広い空間でのダンス。 その後、Dill は洞窟が核シェルターになるし、 かつて Jesse James が隠れ家として利用した事を書いたステッカーを貼る方法をやって成功。
次に成功したのが、highway に沿った納屋に広告を描いたことだった。 巨大な鍾乳洞の洞窟は、驚きや感動を観光客に与えたが、 Route 66 の人気で興味の対象は変わっていき、 人々は派手に Meramec Cavern と描かれた Route 66 沿いの納屋に魅力を感じるようになっていった。

元々は 350 軒程あったが、今残っているのは 約 90 軒で、 その中の一つがこの Hamel の納屋。 今では歴史的記念物としてマークされ、1991 年に塗り直されたが、状態は悪化し続けている。
Dill は、洞窟への観光客の誘致目的で描いたのに、 洞窟よりも、独自の広告のやり方の方が興味を抱かれるようになっていた。
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■ ■ St.Paul Lutheran Church ■ ■
6969 W Frontage Rd, Hamel, IL, (Wordenとも)  HP はこちら  Facebook ページはこちら

2014年10月撮影
 
1857 年創立。 町外れにポツンと立っているが、歴史ある立派な教会。 ブルーネオンの十字架が、入り口のドアの上の切妻の中央にあるので、「ブルーネオンの教会」として知られており、 old Route 66 の初期からのランドマークとなっている。

2014年10月撮影
 
このネオンサインの十字架は、第二次世界大戦で息子を亡くした Brunnworth 家によって奉納されたもの。
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■ ■ Weezy’s Roadhouse ■ ■
108 Old US Route 66, Hamel, Illinois  関連 HP はこちら
1930 年代から Route 66 の旅人たちをもてなしてきたレストラン。 過去には 「Tourist Heaven」、「Village Inn」、「Earnie’s Roadhouse」、「Scotty’s Route 66 Bar & Grill」 等の名前だった。

レンガの外壁が美しい Hamel では目立つ建物。
2014年10月撮影
歴史ある写真とともに壁に今だに古い看板が飾られている Route 66 がテーマのお店。
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■ ■ Route 66 Ridez Auto Restration ■ ■
230 N. old Route 66 Hamel IL  HP はこちら  関連 HP はこちら
1939 年に建てられた牛乳会社のビルを改修し、 Route 66 を旅する人達にも気軽に立ち寄ってもらえるようにしている車関係のお店。

2014年10月撮影
車の修理、部品販売のショップだけれど、 田舎町にしてはギフトショップも充実。 オリジナルの Route 66 グッズもあって、通販もやっている。 ブルーのおんぼろトラックが目印 月〜金曜日 8;00〜17;00
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■ ■ the First National Bank ■ ■
105 E State St, Hamel, IL  関連 HP はこちら

2014年10月撮影
the First National Bank にしては控えめな作りだけど、丁度曲がり角付近にあるので、存在感がある。
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■ ■ Route 66 Beauty & Tanning Salon ■ ■
11 S Old Us Route 66 Hamel IL

2014年10月撮影
美容室と日焼けサロンですが、Route 66のシールドが。 緑色の壁が目立ちます。
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Illinois  2015/05/04  route66jpinfo

Chicago


Route 66 in Illinois
 
= Chicago =
<<WEST
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古くからインディアン部族の交易の場だった。(「シカゴ」は、インディアンの言葉で「にんにく畑」という意味)。 1673 年に探検家 Father Jacques Marquette と Louis Joliet がこの地を見つけた後、しばらくは誰も住まなかったが、1803 年に砦が作られ、1837 年に閉所するまでの間に、次第に人口が増えていった。

内陸部であるために水路の必要性が高まり、1836 年に始まったミシガン湖とミシシッピ河を結ぶ運河建設で、人が押し寄せ、一大開発都市に発展。1837 年に市に昇格すると、更に人口は急増。鉄道も敷かれ、農業、畜産業、鉄鉱業等が発展。又1860 年には地元選出のリンカーンが大統領となり、政治的にも主導権を握れる事となった。

1871 年の大火災、南部からのアフリカン・アメリカンの大量移入、ギャングの台頭、財政赤字等、歴史上色々な問題はあったが、それでも地位や重要性は変わらず、近年は半導体や電子機器、輸送機械などが発展。中心部は全米における商業、金融、流通の中心地としての地位を保持している。

1926 年に開通した Route 66 は、完全舗装された州初の Highway で、元々あったChicago から St.Louis までの State Route 4 を基に作られた。これは1915 年に 出来た Chicago と St.Luois を結ぶ未舗装の道 Pontiac Trail が基で、当時はこの2都市間の最短の道として人気だった。道は Illinois の輸送と交易に置いて、歴史上重要な役目を果たし、それは Route 66 となってからも続く。 Chicago は西部へ行く時の要所であり、California への道 Route 66 の東のターミナル。 西部開拓の出発点で、東部と西部をつなぐ街として、以降その重要性がますます認められていく事になった。

Chicago は昔から栄えた歴史ある大きな街。the National Register of Historic Places もさすがに多い。
Chicago 北部の the National Register of Historic Places はこちら
Chicago 中部の the National Register of Historic Places はこちら
Chicago 南部の the National Register of Historic Places はこちら

 

Magic Skyline の摩天楼をバックにしての Buckingham Fountain
Courtesy of David Taylor
http://urbex.50megs.com//Places/USA/Route%2066/Illinois/Illinois.html
■ ■  Lou Mitchell's Restaurant  ■ ■
565 W Jackson Blvd. Chicago  HP はこちら  wikipedia はこちら
Lou の父親が 1923 年に家族で始めたビジネス。 Lou もオムレツを作り、それを Lou Mitchell’s で売ってお手伝い。そこから彼の夢が始まった。 彼の人柄とおもてなしの心で、すぐに大人気となったが、特に1958 年からは女性と子どもたちにドーナッツと牛乳を配り、朝食にはアイスクリーム、そしてオレンジとプルーンをつけるサービスを始めると、更に人気に。特に卵料理が人気で、世界中からお客が押し寄せた。その評価は世界中で高く、世界中のメデイア等から「Chicagoで必ず寄るべき所」と言われるほど。 Uncle Lou は人気持続の秘訣を「継続は力なり!」と「質を落とさない事!」と。

Union Station に近いことから、通勤の人達にも人気だけれど、 ここは「the first stop on the Mother Road」とも呼ばれる Route 66 の出発点。 アメリカだけでなく、世界中のたくさんの Route 66 ファンの人達にとって、重要な場所。 Chicago から Route 66 の旅を始める人達は必ず立ち寄り、ここからスタートする。 創業から90年を過ぎ、最近オーナーが Heleen Thanas に変わったが、その伝統は守り続けられている。
2002 年「the Nationwide Route 66 Restoration Program」が Lou Mitchell's で設立。
The National Register of Historic Places にも登録されている。

           Photo courtesy of ”The Road Wanderer”
           http://www.theroadwanderer.net/index.htm


Photo courtesy of ”The Road Wanderer”
http://www.theroadwanderer.net/index.htm
 
■ ■  Chicago Union Station  ■ ■
500 W. Jackson Blvd. Suite 107 Chicago  HP はこちら  wikipedia はこちら
1848 年、Chicago に初めて鉄道が敷かれた。すぐに米国で最も重要な鉄道の連結点となったが、有力な鉄道会社が別々に駅を建設したので、乗り換えが不便で、改善の必要性があった。1874 年、鉄道事業5社で駅建設の合意が交わされ、建設を開始。1881 年に完成したが、建設途中で合意からの離脱や、別の駅利用等で、乗客の利便性はさほど向上せず。
1913 年、Chicago Union Station Company が出来、建て替え工事を開始。諸事情で大幅に遅れたが、1925 年に完成した。
1968 年、New York Central 鉄道の列車が Union 駅から発着するようになるが、この頃から鉄道が不人気となり、利用客が減少。1969 年にはコンコースが取り壊され、駅全体も壊される予定だったが、利便性のために残され、新しいコンコースが建設された。

  Photo courtesy of ”The Road Wanderer”
   http://www.theroadwanderer.net/index.htm

1971 年、Amtrak が出来、長距離列車はほとんどが Union 駅発着となる。 1992 年に改修工事も行われ、今では Amtrak は Chicago 発着の全線と州内鉄道の6路線の駅となり、1日約12万人が利用する合衆国内3番目に利用客の多い駅となっている。 広さは全体で約9.5街区に及ぶが、Main Building を除くそのほとんどは道路及び高層ビルの地下にある。 今は Amtrak の子会社 Chicago Union Station Company が所有している。

■ Main Building ■
アメリカン・ルネッサンス時代を象徴するボザール様式のデザインで、伝統的建築技法と技術工学、都市計画を組み合わせた新古典主義の建造物として、歴史的価値を誇ったが、鉄道旅客輸送の衰退で一部が取り壊され、現在の規模に縮小したが、それでも随所に魅力がたくさん残っている。

■ Great Hall ■
Main Building 内にある華やかなボザール様式建築。木のベンチの並ぶ天井高 34m 以上の大待合室で、ヴォールト構造(アーチ型天井)の天窓、彫像、乗継用ロビー、階段及びバルコニーから成るスペースは、米国有数の屋内公共空間とされている。 貸切もでき、300〜3,000 人収容のイベント開催が可能。 映画「アンタッチャブル」で、有名な階段のシーンの撮影はここの東側入口でなされた。

       Great Hall
   Photo courtesy of ”The Road Wanderer”
   http://www.theroadwanderer.net/index.htm

      楽観主義のデザインで。
    Photo courtesy of ”The Road Wanderer”
    http://www.theroadwanderer.net/index.htm
 
■ ■  Navy Pier  ■ ■
600 E. Grand Ave. Chicago  HP はこちら  Wikipedia はこちら
ミシガン湖の岸に沿って、約1km 続くショッピングモール&エンターテインメント施設。 建築家でプランナーである Daniel Burnham とそのチームによってなされたシカゴ都市計画 ( the Plan of Chicago) の一部で、1916 年に出来た公共の施設。

第一の目的は、湖の貨物船の輸送基地として、倉庫へ荷物の上げ下ろしをする為で、倉庫がたくさん作られた。そしてミシガン湖の遊覧船の発着場所としても。 桟橋の先端部には、エアコンの無い時代に、みんなが涼みに来れる場所を作ったが、ここは催し物等もやれるように作られていて、独自のトラムカーも走っていた。

寂れてきた時は海軍が訓練場所として使っていたことで、Navy Pier と呼ばれるようになったが、1970 年代後半の再開発によって、大規模な総合複合施設となり、 ショッピングモール、子供博物館、シネマコンプレックス、劇場、遊園地などがあり、今日では Chicago で一番人気の観光地となっている。
the National Register of Historic Places に登録

   Photo courtesy of ”The Road Wanderer”
   http://www.theroadwanderer.net/index.htm
■ ■  St. James Cathedral  ■ ■
65 East Huron Street Chicago,   HP はこちら  Wikipedia はこちら
Chicago 地区で Anglican Communion and Episcopal の伝統を引き継ぐ最古の教会で、1834 年に建てられた。 元々は小教区の教会として建てられたが、1871 年の Chicago の大火でほとんどが消失。鐘の塔だけが残り、それは再建される時に利用され、今も使われている。
St. P と St. Paul の大聖堂が1921 年の火事で消失した後の1928 年に、大聖堂の位を受けたが、それは1931 年に返還された。 1955 年の5月に 再び指名されたが、一時的で1955 年6月4日に戻された。
教会は Episcopal Bishop of Chicgo に属しており、State St. の the Roman Catholic Holy Name Cathedral とともに、「the Cathedral District of Chicago」となっている。

Courtesy of David Taylor
  http://urbex.50megs.com//Places/USA/Route%2066/Illinois/Illinois.html
 
■ ■  Lincoln Park  ■ ■
wikipedia はこちら
ミシガン湖に面した4.9平方km のシカゴ最大の公立公園。南北に長く伸びた敷地に、なんと15面の野球場、6面のバスケットボールコート、2面のソフトボール場、35面のテニスコート、163面のバレーボールコート、1つのゴルフコース、附属施設等が。他にもヨットハーバー、ビーチ、庭園、動物園、温室植物園、ペギー・ノートバート自然博物館等があり、夏季には海上シアターでのイベントもたくさん開催される。日本では考えられない程の広さの公園は市民の憩いの場となっている。

広い広い公園
Courtesy of Daniel
http://www.takemytrip.com

1843 年にできたシカゴ市の墓地が公園の始まり。ここは後に宗教別に分割されるが、1859 年まではシカゴ市で唯一の墓地だった。1864年、市議会は墓地の公園化を決定。0.49平方km が墓地となり、ここに埋葬された亡骸はオークウッズ墓地などに移されたが、残された亡骸は4,000平m の集団墓地に埋葬され、永久に霊を慰める為に南部の人々やシカゴの支援者により、1895 年にモニュメントが建立された。
リンカーン・パークは彫刻でも有名。動物園やパーク内を歩けば、すぐれた芸術作品がを数多く目にすることが出来る。
The National Register of Historic Places に登録。
■  クーチ霊廟  ■ 
リンカーン・パークが元々墓地であったことを示す為に、シカゴ歴史博物館の裏に建てられた廟で、公園内の墓地では唯一の廟である。
埋葬されているのは イラ・クーチ(Ira Couch) で、シカゴの最も初期の時代の宿屋の主人であり、 1835 年にトレモント・ハウス(Tremont House)を開いた。
彼は1857 年に亡くなったとされるが、そのお墓に関しては、墓地が整理され、公園になったこともあって、諸説があり、謎めいている。 クーチ霊廟の謎についての HP はこちら。  クーチ霊廟に関する新聞記事に関してはこちら
廟の flickr 画像はこちら
■  Lincoln Park Zoo (動物園)  ■ 
2001 N Clark St. Chicago  HP はこちら    Wikipedia はこちら
年中無休で無料のリンカーン・パーク動物園 (Lincoln Park Zoo) は Lincoln Park の中でも一番人気。
子供のための2つのセクション、屋内施設プリッツァー・チルドレンズ・ズー(Pritzker Family Children’s Zoo)と、ジョン・ディーア(John Deere) 提供の農場エリア (Farm-in-the-Zoo) で、農場にいる動物が飼育されている。子供達は動物に餌やりをしたり触れたりできるほか、乳搾りの様子を見学でき、又動物園の南端辺りにあるリンカーン・パーク・ラグーン(池)では、手漕ぎボートのレンタルもできる。

 

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■  Lincoln Park Conservatory (温室&植物園) ■ 
2391 North Stockton Dr.  wikipedia はこちら
巨大な温室のある植物園。 植物園は1870 年代に作られ、温室は1890〜95 年に作られた。 重要な多種の植物のコレクションと教育プログラムを提供しており、 地域の奉仕活動の努力に支えられて、長年に渡って運営され続けてきた素晴らしい植物園。

            巨大な温室
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温室は、病院もしくは慈善団体や宗教的な機関と連携した独自のボランテイア的な施設だった。
医学的な利用と研究の為に植物と生物の研究資料を提供、成長する産業化によって、心身共に病んだ19 世紀の Chicago の市民達は、植物園の草花に魅了されることで、癒やされた。 シカゴでは3つの公園委員会が1869 年に設立され、1895 年までに5つの温室ができている。
 
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Illinois  2014/08/02  route66jpinfo