TOWN

Arizona

Winona / Arizona


Route 66 in Arizona
 
= Winona =
<<WEST       EAST>>
Coconino County  Wikipedia はこちら  関連 Website はこちら
 

1912 年までは Walnut Creek と呼ばれ、 1950 年代までは Flagstaff の一部だった町。
1900 年代の始めに California の Long Beach の弟を尋ねるために、Texas の Moodyから自転車で旅をしていた Billy Adams が、 ここを通って気に入り、California から Texas に戻って、 Myrtile と結婚した彼は、すぐにここへ来て、Trading Post を建てた。
 

東側の町の入り口。道の先に有名な橋が見える。
2013年9月撮影
 
Route 66 はまだ開通していなかったが、 1920 年代までに Highway が Trading Post の真ん前を通ることを知り、 彼はすぐに 12 室の Tourist Camp を建てたが、 これは Arizona で初期に建てられた Camp の 1 つだった。

その後牧場主達が入植し始め、郵便局が建てられ、 Myrtle は 1924 年に最初の郵便局長となり、 又Texaco のガソリンスタンド、 牧場を始め、1960年代末にリタイヤするまでにかなりの土地を持つようになっていた。

Winona は Route 66 の開通で旅人たちの往来も多くなってきていたが、 所詮小さな町。 Route 66 での全盛期は短く、 1937 年に南側にバイパスが出来ると寂れてしまい、 Adams 家は 1940 年代にガレージをやっていた Pills 家にショップを売り、 後に息子の Bill が後を継いだ。 その後 2 回以上売られたが、廃墟となってしまった。

Winona の繁栄は無かったし、確立することも無かったが、 Bobby Troup の Route 66 の歌詞で歌われる事で有名になった。 歌詞の中では “ Don’t Forget Winona “ と歌われていて、 作詞作曲をした Bobby Troup が “Arizona” の所で韻を踏んだ言葉が必要だったので、その順序を意図的に変えて入れたのだそう。

Flagstaff から Winona まで( 約 16 mile ) は北を走る 1947 年以前の Route 66 と、 南側を I-40 となってほぼ直線で走る 1947 年以降の Route 66 があるが、 I-40 の出口での Winona の表示はもう無くなっている。

Winona は忘れ去られるほど何も無い町だけれど、Elk ( 大鹿 ) では有名。 以前は Interstate Highway に大鹿が飛び出してきて、車とぶつかり、 大鹿が怪我をしたり、車が壊れるような事故がたくさんあったが、 その対策として州は、 草木を切り開いて視界を良くし、制限速度を落とすことで、 景観を保ちながら、事故を防ぐことに成功している。
Route 66 ブログ はこちら
■ ■ Walnut Canyon Bridge ■ ■
1924 年〜  関連 Website はこちら
1947 年以前の Route 66 沿いの Winona の町に入る前の川にかかる橋。 今は閉鎖されていて、車で通ることは出来ない。 Winona には Route 66 全盛期の頃のものはほとんど残っていないのだけれど、 この橋だけが往時を忍ばせてくれる。
 

2015年6月撮影
 
1922 年、the United States Bureau of Public Roads が、 Arizona の the Coconico National Forest を通る Flagstaff と、 Angel の間を通る the Winslow Highway に沿った 23 mile の道路建設プロジェクトに着手した。 プロジェクトの一貫として作られた最大の建築物がこの the Walnut Canyon Bridge で、1924 年に完成し、1926 年 橋を通る道路が Route 66 となった。
 

すぐ横の新しい Route 66。 橋の下はドライリバーになっている。
2015年6月撮影
 
デザインも材料も効率の良い Parker トラスト構造に他の要素を加えたデザインで、 当時の一般的な建設ではあるが Route 66 沿いで残っている中では珍しい例となっている。 The National Register of Historic Placesに登録
Route 66 ブログ はこちら
 
<<WEST EAST>>

≫ 続きを読む

Arizona  2016/01/24  route66jpinfo

Joseph City / Arizona


Route 66 in Arizona
 
= Joseph City =
<<WEST       EAST>>
Navajo County  Website はこちら  Wikipedia はこちら  写真集はこちら
1876 年に、ユタ州から Mormon 教の信者達がやって来て the Little Colorado River の堤に住み始めたのが始まり。 リーダー Williams C. Allen の名前をとって、ここは " Allen’s Camp " と呼ばれていた。 ここは4つ ( Brigham City、Sunset、Obed、Joseph City ) の Little Corolado River 入植地の1つで、Joseph City だけが今も残っている。

Welcome Board
2013年9月撮影
初期の開拓者達は、作物収穫のために、時々氾濫する川にダムを作る計画をしたが、 何度作ってもダムは流され、作物はほとんど収穫できなかった。 最初の入植者達が到着した 1876 年から 1894 年までに、10 のダムが作られた。 10 番目のダムは 29 年間使われたが、1923 年に壊れ、 1939 年にやっと今も残るダムが完成。 今でも町の住民に水を供給している。

1878 年には Post Office が出来、1883 年には鉄道が敷かれた。 入植地の名前は最初が " Allen’s Camp " 、それが 1878 年に St.Joseph に。 これは the Latter Day Saint movement の創設者 Joseph Smith を讃えて付けられたと思われるが、Missouri にも Saint Joseph があり、そこを通る Santa Fe Railway が、郵便物や輸送での混乱を防ぐ為に、名前を変えるようにと要請。 1923 年、住民投票によって " Joseph City " に変えられた。

第一次大戦後に Route 66 が出来、町に活気が出てきて、それなりの繁栄をしたけれど、I-40 によってバイパス化されると寂れてしまった。 今でも町には古い家や廃墟がたくさん立ち並び、往時の面影を残しているが、人通りは少ない。
Route 66 ブログ はこちら
 
■ ■ the Jack Rabbit Trading Post ■ ■
3386 Rte 66, Joseph City, AZ  Wikipedia はこちら

old Route 66 のすぐ横を鉄道が走っているので、 貨物列車の撮影場所としても有名。
荒れた old Route 66 の左手が Jackrabbit すぐ右手が鉄道の線路。

2013年9月撮影
「Jack Rabbit に立ち寄らなかったら、南西部に来たことにはならない!」との格言があるくらい有名な場所。 old U.S.Route 66 沿いにある Jaquez 家が運営しているコンビニ兼骨董品店。

有名な看板
2013年9月撮影

Jack Rabbit の建物全体
2013年9月撮影
Route 66 の全盛期からずっと営業を続けていて、たくさんの看板が Route 66 沿いに立っており、Jackrabbit の像があって、 店の前には、有名な “ HERE IT IS “ と描かれた看板がある。 2006 年の映画 “ Cars “ にも “ HERE IT IS “ の看板が描かれた。

Jack Rabbit の入り口
2013年9月撮影
1949 年に James Taylor が作った Trading Post で、 以前 蛇の飼育小屋として使われていた掘っ立て小屋を買い、 正面に踊るインデイアンの酋長の絵、 屋根のヘリにはねる 12 インチの 30 匹のウサギを描き、 建物の片方に大きなウサギを描き、 そして黄色の目の3フィートの高さの Jackrabbit を作った。

Jackrabbit
2013年9月撮影
当時、Highway 近くに、 派手な目を引く Teepee の “ Genonimo Trading Post “ が出来たので、 Traiding Post を維持していくのは大変で、 Taylor は Winslow で唯一の男性向けショップ 「For Men」 のオーナー Wayne Troutner と提携。 二人は、Route 66 の 1000 mile 以上の所々に、はねるウサギと踊るカウガールの看板を立て、 又「Here It Is」 と書かれた有名なウサギの巨大な黄色の看板を作った。 Taylor のこの戦略はあたり、今だに健在で、Route 66 上での伝説となっている。
 

シーズンオフにはクローズされている Jackrabbit のキャンプ場
2013年9月撮影
Taylor は約 20 年間経営をし、1961 年に Glen Blansett に貸した。 1967 年に Glen は息子夫婦にそれを譲り、 今は孫夫婦の Cynthia と Antonio Jaquez らが経営している。
Route 66 ブログ はこちら
 
■ ■ Ella’s Frontier Trading Post ■ ■
関連 Website はこちら&こちら  facebookはこちら
廃墟群の一箇所で,Route 66 沿いで最も古い Trading Post。 ここは素晴らしい歴史を持つ Frederick “San Diego” Rawson の最後の仕事だった。 彼は 1861 年に生まれ、子供の頃の数年間は Plains Indian の奴隷となっていたが、 アメリカ軍から開放された後、家族の元へ戻り、 その後探鉱者として、多彩なキャリアを持つようになった。 彼は Highway 66 開通後、Joseph City へやってきて、 町に Museum を作り、初期の西部の家庭内の物、家具、道具等の個人コレクションを展示したが、 Museum はさほど人気も出ず、コレクションを売った後、 町の西の端の小さな丸太小屋に移り、” Frontier Days Trading Post “ を開いた。

一時は宝石や毛布を作る Navajo Indian が住んでいたこともあったが、 後に Don Lorenzo Hubbell ( Ganado の Hubbell Trading Post の ) に売り、 それからハワイアンバンドリーダーとその妻 Ella Blackwell に売られた。 Ella は離婚後の住居として 1955 年にここを取得し、彼女が亡くなる 1980 年代半ばまで運営していたが、その後廃墟となっている。

Arrow Campground の看板。
その後ろに見えるのが Ella’s Frontier Trading Post

2015年6月撮影
 

古い Welcome Board
2015年6月撮影
 
Ella は Julliard 音楽院を出ており、奇抜なことで知られていて、 ショップにピアノを置いて、旅人たちへエンターテインメントとして弾いていた。
Route 66 ブログ はこちら
 
■ ■ The Old Fort Monument ■ ■
William C. Allen をリーダーとして、 Grigham Youngと言うモルモン教徒の移民団が 1876 年 3 月 24 日に入植した。 彼らはここに Cottonwood の丸太と土で " Allen’s Camp " として知られる砦を作ったその記念碑。磨かれた化石の木で作られている。
Route 66 ブログ はこちら

2013年9月撮影
 

碑文の部分
2015年6月撮影
 
■ ■ Howdy’s Hanks and Sitting Bull’s Indian Store ■ ■
Hopi の村に長い事、飼料を販売していたショップだったが、 今は廃墟に。 旅人向けの teepee ( Indian の家 ) が正面にあり、 年老いた Howdy Hank が自分で修繕し、西側の壁を再塗装した。
Route 66 ブログ はこちら

2015年6月撮影
 
■ ■ その他 ■ ■

Joseph City Post Office
2015年6月撮影
 

Dream Catcher RV-MH Park
一晩 $15

2015年6月撮影
 
■ ■ Geronimo Trading Post ■ ■
5372 Geronimo Rd, Joseph City, AZ  Facebookはこちら

Courtesy of David Taylor
http://urbex.50megs.com//Places/USA/Route%2066/Route%2066.html

 

Photo courtesy of ”The Road Wanderer”
http://www.theroadwanderer.net/index.htm

 

Courtesy of David Taylor
http://urbex.50megs.com//Places/USA/Route%2066/Route%2066.html

 
Holbrook まで数 mile、EXIT 280 を降りた所にある巨大なお土産品店。 ” 世界最大の木の化石 “ 駐車スペースの横にあり、十分見る価値はある。 木は割れてしまっているが、80 トンはある。
Route 66 ブログ はこちら
■ ■ Joseph City の廃墟 ■ ■

草原の中で寂しく揺れるブランコ。
全盛期の頃は子どもたちもたくさんいた事でしょうね。

2013年9月撮影
 

2015年6月撮影
 

廃墟となったガソリンスタンド。
2013年9月撮影
 

2013年9月撮影
 
<<WEST EAST>>

≫ 続きを読む

Arizona  2015/12/13  route66jpinfo

Two Guns

全盛期の時代の砂漠の中のお休み処。
なんとここには動物園まであって。


Route 66 in Arizona
 
= Two Guns =
<<WEST       EAST>>
関連HPはこちら  関連HPはこちら
Flagstaff と Holbrook の間の砂漠の中を走る I-40 沿いの有名なゴーストタウンで、 名所「Canyon Diablo」の残骸を見下ろすような位置にある。
数ある Route 66 沿いのゴーストタウンの中でも特にここが興味深いのは、 長い旅行中の人気の休憩所、宿泊所であったが、なんと動物園まであった事。 Route 66 の全盛期の頃には随分とにぎわっただろうけれど、 今では廃墟群が残るだけ。

          Route 66 沿いに殺風景な廃墟群が。
                  2013年9月撮影

       入り口の看板。
          2013年9月撮影
 

 Wild Westなイラストの古い貯蔵タンクが。
         2013年9月撮影

        タンクのすぐ横に廃墟のガソリンスタンド
                 2013年9月撮影
 
19 世紀の西部開拓の時代、 幌馬車で Canyon Diablo を横断する時の休憩場所として大人気だった場所。その後、車の時代になって、 National Trail Highway が出来ると「Canyon Lodge」と呼ばれるようになり、旅人たちは、ここで一晩過ごし、アパッチの洞穴を訪れ、雑貨屋でお土産を買い、 動物園を見るのが人気のコースだった。 National Trail Highway が Route 66 に変わった時に、 活気のあった町の名前は「Two Gun Miller」となったが、 今では全て無くなってしまい、 入り口の見捨てられた看板、西部のキャラクターが描かれた古い貯蔵タンクと数軒の廃墟があるだけ。
Route 66 ブログはこちら
 
■ ■ Two Guns Camp ■ ■
Campではなく、屋根にはKAMPと書かれている。 1920 年に作られた旅行者達の為の Arizona で最初の Camp。 ワンルームの 12 部屋と、$1 で泊まれる部屋があって人気だったが、今では廃墟に。
 

2013年9月撮影
 
■ ■ Mountain Lion ■ ■
Exit 230 を降りると、すぐ横を走る old US 66 近くに「MOUNTAIN LIONS 」と書かれた有名な廃墟の壁がある。
 

Photo courtesy of ”The Road Wanderer”
http://www.theroadwanderer.net/index.htm

ここはかって訪れた旅人達を楽しませる為に作られた動物園で、 レンガとモルタルとワイヤで作られた大きな檻の中に、 コヨーテ、サソリ、Roadrunner、Mountain Lion、山猫、パンサー等が飼われていたが、今では壁だけが残っている。 全盛期の頃には子供連れの旅行で賑わっていた事でしょう。 砂漠の中の動物園。どんな動物園だったのでしょうね。
Route 66 ブログはこちら
 
<<WEST EAST>>

≫ 続きを読む

Arizona  2014/10/31  route66jpinfo

Ashfork

名産である Flag Stone で今だに生き残っている街


Route 66 in Arizona
 
= Ash Fork =
<<WEST       EAST>>
wikipedia はこちら  歴史に関しての HP はこちら
1950 年代から「世界の Flag Stone の中心地」として知られる Ash Forkは、物資などを輸送する運送業者のための小さな休息場所として始まった。

 

町の入口に立つWelcome Board。
2010年4月撮影

1882 年に Santa Fe 鉄道が敷かれると、村は大きくなり、運送業者の要望により、駅が作られた。
ここでの最初のビジネスは、1882 年に Thomas Cooper Lewis がはじめた。 1883 年にまず郵便局が出来たが、 この年の大火事で町は完全に燃え尽きてしまった。 がすぐに鉄道の線路の反対側、今の町並みの場所に町が再建された。

Wells Forgo(銀行)は、1882 年から、1907 年までここで営業を続けたし、 1907 年には Fred Harvey Escalante Hotel ができるほど町は繁栄していた。
1926 年に Route 66 が開通すると、鉄道だけでなく、車のお客様をも受け入れることでますます繁盛したが、 1950 年代に鉄道が町の北へと移動するや流れが変わり、 美しい Escalante Hotel も閉店。 1970 年代にはまたしても大火事が起こり、 Ash Fork の建物はほとんど消失してしまった。

1953 年に I-40 でバイパス化されると、更に町は寂れていったが、 1950 年代に町から約 10mile 離れたところで、 Flag Stone (Kaibab Stone) がみつかり、その美しさから需要も多く、 世界中に輸出されるようになり、今や「世界の Flag Stone の中心地」と言われるまでに。そのお蔭で今も町は健在。

 

町の至る所に切りだされた Flag Stone が。
2010年4月撮影

町は道の南側が火事で焼けてしまったあと、北側に新しい町が出来たので、 道が北(西行き)と南(東行き)、それぞれ一方通行になっている。
Route 66 ブログはこちら
 
■ ■ Tourist Information Center & Museum ■ ■
901 W. old Route 66 Ash Fork AZ  facebook ページはこちら  関連 HP はこちら
1920 年代に作られた Sand Stone を使った建物で、 Arizona Department of Transportation によって作られた初期の建物を再現しており、 the National Register of Historic Places に登録されている。 Tourist Information Center も併設している Museumで、 「アメリカの Flag Stone の中心地」としてのAsh Forkに関する展示や資料、地域や州に関して等、素晴らしい情報と展示がなされている。
Route 66 ブログはこちら

   Flag Stone に彫られた入り口の表示の石碑
           2010年4月撮影

       初期とほぼ同じのシンプルな外観。
               2010年4月撮影
 

         内部の展示の様子。  
             2010年0月撮影

      鉄道の駅と Escalante Hotel に関する展示
               2010年0月撮影
 

     Ash Fork Historical Societyの本部も。
            2010年4月撮影

         当時の学校の授業中を再現
               2010年0月撮影
 
■ ■ DeSoto's Beauty & Barber Shop ■ ■
314 West Lewis Avenue Ash Fork, 1960 年代からの理髪店、美容室、ギフトショップ。 Arizonaで最初のTexacoのガソリンスタンドだった建物を改装して作られた。 屋根の上に古いChrysler(DeSoto)が乗っているので有名。 古き良き時代に戻ったような雰囲気。
 

  2010年4月撮影

DeSoto(もしくはDe Soto)とはアメリカで生まれた車のブランドで、1928 年〜1961年 Chrysler が製造し、販売していた。 DeSoto は、16 世紀のスペイン人の探検家 Hermando de Soto のイメージからデザインされたネーミングで、 1928 年から、公式に1960 年 11 月 30 日に終了するまで、実に 200 万台以上作られた人気ブランドだった。
Route 66 ブロはこちら
 
■ ■ Ash Fork Volunteer Fire Dept. ■ ■
43750 Bullock Rd Ash Fork, AZ
 

  2010年4月撮影

ボランテイアで運営されている消防署。 アメリカの田舎に行くと、意外と目につくのが消防署。 そして大火事の事も良く記録されています。 特に Ash Fork は、町が燃え尽きてしまうような大火事に、 何度もあっているので、その教訓からでしょうか? 田舎にしては立派な消防署です。
Route 66 ブロはこちら
■ ■ Historical Marker ■ ■
Lewis Ave. & 5th St. Ash Fork AZ
 

  2010年4月撮影

かつてはにぎわっていた Lewis St. 沿いに立てられている鉄道事業に従事した人たちのための記念碑。 又 1907 年に出来て、1950 年代につぶれてしまった Fred Haevey Escalante House についても書かれている。
Route 66 ブロはこちら
■ ■ その他の気になる所 ■ ■

Oasis Route 66 Cafe。新しい Cafeで、バイカー達に人気。
         346 W PARK AVE Ash Fork, AZ
             2010年9月撮影

   ZETTLER'S MARKET。DeSoto's Sallonの少し手前に
             242 Lewis Ave, Ash Fork,
               2010年9月撮影
 

     Emmanuel Trinity Methodist Church
      廃墟となってしまった教会

           2010年9月撮影

         Route 66 Oldies
      車関係のお仕事のようです。

            2010年9月撮影
 

      TED'S BULL PEN RESTAURANT
          町の東のはずれに。

              2010年9月撮影

         RANCH HOUSE CAFE
           TED'S の東隣
           2010年9月撮影

<<WEST EAST>>

≫ 続きを読む

Arizona  2014/10/20  route66jpinfo

Lupton


Route 66 in Arizona
 
= Lupton =
<<WEST       EAST>>
359 I-40 lupton AZ  Apache County   Wikipedia はこちら  関連 HP はこちら
New Mexicoとの州境に近い小さな村。 アメリカの初代大統領 George Washington の祖父である Col.John Washingtonが、1864 年に、彼がやった Navajo キャンペーンで、ここに立ち寄っている。

1905 年に町ができ、 町の名前は、鉄道と関係の深かった George William Lupton からとって付けられた。彼は1905 年に Winslow の駅長として赴任し、後に San Francisco の Atchison,Topeka, Santa Fe 鉄道の所長を歴任し、 1929 年には Chicago 路線の副総裁の助手にまでなった人。
町は1930 年代の Arizona へのガイドブックに、人口 75 人で、草分け的な「西部の牛の町」として記載されている。 Trading Post のあるあたりは、I-40 の両側に大きな Navajo Indian の居留地があるので、「Navajo Land」とも呼ばれているが、Yellowhorse Trading Post 以外ほとんど何もない町。
Route 66 ブログはこちら

 

 町の入口に立つ案内板。
 2013年9月撮影


 Route 66 のすぐ横をSanta Fe 鉄道が走る。
 2013年9月撮影
■ ■ Yellowhorse Trading Post ■ ■
359 I-40 lupton AZ  HPはこちら
1950 年代に Yellowhouse 一家が 、道沿いにスタンドを立て、Navajo 族のラグや木の化石を売り始めたのが始まり。 1960 年代、Juan & Frank Yellowhouse が、スタンドの近くに新しくちゃんとした Trading Post の建物を建て、そこで Shell のガソリンも売り始め、Route 66 沿いの看板も新しくした。すると旅人達が、立ち寄り始め、次第に人気の場所となっていった。

     入り口の派手で大きな看板。
         2013年9月撮影

        派手な看板のショップが奥へと続く。
                 2013年9月撮影
Frank の息子の David がそれを引き継ぎ、ロバに乗せて近くを回るサービス等も始め、インディアングッズやインディアンジュエリーを扱うお店も数軒オープンして、憩いの場所となり、地図にも載るほどの有名な場所となった。 赤い岩山の岩棚には動物たちのフィギュアも飾れていて、楽しめる。
Route 66 ブログはこちら
 

   岩山の中腹の岩棚には動物のフィギュアが
            2013年9月撮影

        すぐ前をRoute 66が走っている
        そのすぐ向こうが鉄道の線路
  ちょっとした広場には木の化石がゴロゴロ転がっている。
              2013年9月撮影
 

   大きなTee Pee(インディアンの家)のショップ
              2013年9月撮影

         すぐ横にはこんな建物も。
               2013年9月撮影
 
<<WEST EAST>>

≫ 続きを読む

Arizona  2014/09/21  route66jpinfo

Painted Desert


Route 66 in Arizona
 
= Painted Desert =
<<WEST       EAST>>
Wikipedia はこちら  関連 HP は こちら
 

入り口近くにある公園の石碑
Painted Desert は
Petrified National Park (化石の森公園)の一部となっている。

2013年9月撮影

Grand Canyon National Park (グランドキャニオン国立公園) から、 Petrified Forest National Park (化石の森国立公園) に広がる台地。 三畳紀前期のチンル層 (Chinle Formation) が織り成す色々な色の岩山が広がり、 その広さは 93500 エーカー(約 378 平方Km)以上、 公園の端から端までは約 28mile (約 50km )もある広大な国立公園。 その間をめぐる観光用の舗装道路が整備されており、その途中 Painted Desert を 見渡せる展望台が 8 箇所ある。そこからの眺めは素晴らしい!

360 度、地平線の向こうまで広がる赤い大地。
2013年9月撮影

ここは Navajo Indian の領地で、 1906 年に National Monument として指定されたが、 1962 年に Petrified Forest National Park に追加され、国立公園として正式に認定された。

数億年の間の色々な天変地異(火山の噴火、地震、水害、太陽光線等)によって できた自然の美しい光景は、とても人間の力で作れるものではない。この不毛の地の真ん中を貫くRoute 66。当時、ここに道を作った事、そして何百kmものこの大地を移動した人達がいたことを思うと感動する。
360 度、果てしなく地平線の向こうまで続く赤い岩山を見ていると、 自分の小ささ、無力さに気付かされる。 ここでは時の流れも無意味に思えて。
きれいな層に積まれた粘土と花崗岩は、照りつける Arizona の太陽、季節、時間、天候によって、カラフルな色の輝きの変化を見せてくれる。.
Route 66 ブログはこちら

   公園入口近くにあるビジター・センター
            2013年9月撮影

      刻々と変わり、色々な表情を見せてくれる岩肌
               2013年9月撮影
 
■ ■ The Painted Desert Inn ■ ■
Kachina Point  Wikipedia はこちら  関連 HP はこちら
Painted Desert で必ず立ち寄るべき所。 1924 年に Herbert David Lore によって the Peinted Desert を見下ろす高所に建てられた2 階建てのロッジ。建設に珪化木を使ったことで、「the Stone Tree House」とも呼ばれ、約12年間、Inn として、運営された。 宿泊、食事ができ、Native American のアートや工芸品、骨董品の購入もでき、 Painted Desert の南の Black Moutain を抜けるツアーもやっていた。

見晴らしの良い赤い大地の高台に立つ the Painted Desert Inn
2013年9月撮影

1935 年に the National Park Service が買い上げ、 すぐに人気の建築家の一人 Lyle Bennett を起用し、改修工事を始めた。
第二次世界大戦中は閉店していたが、 戦後すぐに再オープン。 人々が 車での「Vacation」を楽しみ始め、かって無いほどの大人気となっていった。
1947 年、Fred Harvey Company が運営を始め、 すぐに伝説的な Harvey Girls 達が、素晴らしいもてなしをする Inn として有名になっていく。

ダイニングにある Harvey Company と Harvey Girls 達に関する歴史のボード。
2013年9月撮影

1 年後、建築家でインテリアデザイナーの Mary Colter( Winslow の Posada Harvey House Hotel もデザイン)が、 食堂の改装の監督をし、Hopi のアーテイスト Fred Kabotie に Hopi の伝統の絵を依頼し、ダイニングの壁に描かせた壁画が、今も残されている。

Fred Kabotie の Hopi の壁画のあるダイニングルーム
2013年9月撮影

同年、the Painted Desert Inn は化石公園の北の本部となったが、 I-40 が 開通するや、新しく Painted Desert の公園本部がオープンし、 the Painted Desert Inn は閉館した。
1947 年から1963 年までは Fred Harvey Company によって運営されていたが、 すでに創立時からの問題等もあり、随分長い間見捨てられていた。 定期的なイベントの時だけはオープンしていたが、劣化し続け、 とうとう建物は1965 年に廃墟となる。
1970 年代の中頃には取り壊しの案まで出されたが、公的な保存がなされることになり、1975 年には限られた場所だけ再建されてオープン。 1975 年 the National Register of Historic Places に登録、 1987 年には National Historic Landmark に指定され、 古い Inn の建物は大規模な再建改修工事がなされて、 2006 年に博物館、そして書店として再オープン。 今ではたくさんの人達が訪れる場所となっている。
Route 66 ブログはこちら
 
■ ■ the Route 66 Crossing ■ ■
the Painted Desert National Park の中の見晴台 Lacey Point の先に、 1926 年〜1961 年の Route 66 が、観光道路と交差していた位置を示す場所があり、2006 年に作られた。
Route 66 ブログはこちら

1957 年製のキャデラックのバンパーをはめ込んだ碑が。
2013年9月撮影

The Painted Desert を通り抜ける過酷な道だったこの Route 66。 I-40 が出来るとすぐに誰も通らなくなった様で、 今は草の生い茂る草原の一部と化している。
近年アスファルトが敷かれ、そこに Route 66 のシールドが彫られていて、 当時の Route 66 の幅がわかる。
廃車が置かれ、 Route 66 の歴史について書かれた表示板も。

 

             2013年9月撮影

             2013年9月撮影
 
少しだけ当時の Route 66 の路面が、荒れた状態で残っているし、 Route 66 に沿って立てられた電信柱は今だに残って立っている。 それはまっすぐに延々と地平線まで伸びていて、 当時の Route 66 がどのあたりを通っていたかを教えてくれる。
 

    雑草に覆われてしまった Route 66。
2013年9月撮影

<<WEST EAST>>

≫ 続きを読む

Arizona  2014/08/22  route66jpinfo

Holbrook


Route 66 in Arizona
 
= Holbrook =
<<WEST EAST>>
Navajo County  HPはこちら  wikipediaはこちら
1881年the 「Atlantic & Pacific Railraod」は Horsehead Crossing として知られている地域に鉄道を通した。 その数年後に駅が作られ、小さな居住地の名前は 鉄道のエンジニアのトップ H.R.Holbrook を称えて付けられ、 1年後には郵便局が出来た。

町は最初カウボーイ、牧場主、鉄道作業員らのたまり場となり、 すぐに典型的な荒れた西部の町と化し、法と秩序は無いも同然で、ギャンブルは人気だったし、たくさんの売春婦達もいた。
しかしその後次第に北 Arizona の流通の中心地となり、牛、羊、ウール等が鉄道で出荷も好調で、1884年「Holbrook Times」の初刷が発刊され、活気ある町となっていた。
1884年にアメリカで2番目に大きい牧場「Hashknife Outfit」が営業を始め、60000頭の牛と1000人のカウボーイが働くことになって、またしても荒れ放題となり、 1914年までは教会も無く、当時絞首刑のなされているアメリカで唯一の町と言われていた。

 

東側の町の入口近くに立つ給水タンク
2013年9月撮影

Route 66 が通る1926年までには,、どうにか無法者達の時代も終わり、 Route 66 の旅人達が安心して宿泊できる良い町となった。 特にここは化石の森、インデイアン居留地、Painted Desert に近い事で、 今では旅行業が大きな産業となっている。
Route 66ブログはこちら
■ South Central Avenue Commercial Historical District ■
119 S. Central Ave.
I-40を降りたら、全盛期の面影をそのまま残している Route 66 である Central Ave.。ここには今も営業中、又は廃墟となった旅行者の為の Trading Post、古いカフェ、カラフルなモーテルなどが並んでいる。
the National Register of Historical Places に登録

  2013年9月撮影
■ ■ Wigwam Village Motel ■ ■
811W. Hopi Dr.  1950年〜  HPはこちら
Route 66 の終焉以降も生き延びた名物 Motel。 1938年、E.Lewisは、Kentucky Cave City で見た1937年に建てられた元祖のWigwam Village のユニークさに感動。 すぐに1936年〜1950年代の間に建てられた7軒中の 6番目の Holbrook の権利を買い、Motel をオープンした。

15部屋の鉄筋コンクリートの teepee は、Main Office の周りに配され、 それぞれの teepee は21feetの幅の床と 28feet の高さ。 部屋にはオリジナルの手作りのヒッコリー家具が備えられ、 洗面台、トイレ、シャワーがある。 それぞれの入り口前には Mr.Lewis 所有の Studebaker を含む Vintage Car が置かれ、Main Office の正面にはガソリンポンプがある。

Mr.LewisはMotel 経営で成功していたが、 1970年代後半、I-40でバイパス化されるや、難しくなり、 資産の大半を売って、残った所でガソリンを売っていた。
Mr.Lewis が亡くなって2年後、彼の妻と子供達は資産を買い戻し、1988年に Motel を再オープン。ガソリンポンプを動かし、Main OfficeをMuseum に変え、一般公開。 Museum には Indian の工芸品や南北戦争の遺品、Route 66 関連の品、化石等のMr.Lewis のコレクションがある。「Arizona State Historic Preservation Office」も兼ねている。

ここはthe National Register of Historic Places に登録。 又2002年、2003年、2007年、the NPS Route 66 Corridor Preservation Program から「Cost-Share Grants」を受けている。
7ヵ所の元々の Wigwam Village Motel は、Kentucky Cave City の#2と、 Rialto/San Bernardino, California. の#7、そしてここ #6 だけが残っている。
Route 66ブログはこちら

            Main Office
              2013年9月撮影

         各部屋の入口には vintage Car が
               2013年9月撮影
■ ■ Navajo County Courthouse  ■ ■
Courthouse Sq. northeast corner of East Arizona St and Navajo Blvd., Holbrook,
関連HPはこちら
1898年に出来たダウンタウンの郡裁判所。 今では「Holbrook Visitor Center and Museum」として機能していて、 当時の部屋と前史時代の人工の物、そして無法の開拓時代から現代までの流れをたどった展示で、 西部地域の歴史の一部を体験することが出来る。 2階には装飾を施した金属の天井の裁判所の法廷、そしていくつかの改装されたオフィスがある。 階下には土牢のような刑務所も。 商工会議所のオフィスでもある。
the National Register of Historic Places に登録
Route 66 ブログはこちら
 

       裁判所だったとは思えないおしゃれな外観
               2013年9月撮影

     中には法廷がそのまま残されていて
             2013年9月撮影
■ ■ the Roxy Theater  ■ ■
153 W Hopi Dr Holbrook,AZ
1936年5月にオープン。
オープニングの映画は Gary Cooper の「Mr.Deeds Goed To Town」だった。 364席の劇場で、建設を請け負ったのは Whiting Bro. だが、建築家は不明。 内装は L.A.のScenic Studios の Nat Smythe によるもので、 PhoenixzのL.CaldwellとHarry Nace が共同出資で建てた。
L.Caldwellは、運営していた Liberty Theater が1935年の火事で焼けてしまったので、劇場がオープンしてまもなく、Harry Nace に全持ち株を売った。
今の The Roxy Theater は、改装して1954年に327席で、オープンしたが、1994年に閉館。その後再生プロジェクトで改装して、2003年に再オープンした。
Route 66 ブログはこちら

                2013年9月撮影
 
    ■ Joe & Aggie's Cafe ■

             2013年9月撮影
       ■Romo's Cafe■

             2013年9月撮影
Route 66 ブログはこちら
 
 ■World's Famous Winner Circle Bar■

       エクステリアがおしゃれ!
             2013年9月撮影
 ■Pow Wow Trading Post■

      この看板は有名
     Route 66 ブログはこちら

           2013年9月撮影
   ■ Scotty & Son's Garage ■

       ブルーの色がひときわ目を惹く。
              2013年9月撮影
      ■ Rocks ■

     石屋さん。ここには恐竜がたくさんいます。
              2013年9月撮影
 
♪ この町の壁画も素晴らしい! ♪

   長い長い塀に長い長いRoute 66を書き込んで。
       2013年9月撮影


      2013年9月撮影

<<WEST EAST>>

≫ 続きを読む

Arizona  2014/07/30  route66jpinfo

Winslow


Route 66 in Arizona
 
= Winslow =
<<WEST EAST>>
Navajo County HP はこちら   wikipedia はこちら
小さなコロラド川の西2mile に、 35 番目の鉄道の線路と Santa Fe 鉄道の分岐点が1880 年に作られ、1881 年に鉄道の駅が出来た。 記録によれば、駅は ”Doc” F.C.Demerest と名づけられたテントのビジネスから始まったとされる。
後に J.H.Bread が石作りのビルを建て、郵便局が1882 年1 月10 日に出来, 町は次第に大きくなっていった。 この新しい町は鉄道のトップであった Edward F.Winslow の名前を取って付けられた。

その後、 1917 年に「Hubble Trading Post」、1930 年には Harvey House の「La Posada Hotel」等もオープン。順調に成長し続け、1960 年代までは北 Arizona 最大の都市でもあったが、その後衰退し始め、1970 年代の I-40 によるバイパス化でほとんどのビジネスは終わってしまった。

1972 年の Eagles のヒット曲「Take It Easy」に Winslow が出てくることから、 町の歴史地区の再建計画が始まり、1990 年代にはクローズしていた「La Posada Hotel」も再オープン。「Take It Easy」をテーマにした「Standin' On The Corner Park」も出来、その後次第に人気も高まり、いまでは観光地としてたくさんの人達が訪れるようになっている。
Route 66 ブログはこちら
■ ■ Winslow Commercial Historic District ■ ■

                往時を思わせる美しい街並み
                  2013年9月撮影
Roughly bounded by 3rd, Williamson Ave., 1st, and Warren Ave.
古い建物が並び、それに合わせた改修工事も行われ、 往時の状況をイメージさせてくれるような地区になっている。
the National Register of Historic Places に登録
■ ■ La Posada Hotel ■ ■
200 E. 2nd St. Winslow  HP はこちら   wikipedia はこちら
Santa Fe 鉄道が、New Mexico の Santa Fe のような観光のメッカとなると予想し、1930 年に破格の約 200万ドルを投じて建てた Harvey House 最後のホテル。デザインは Grand Canyon の建築家 Mary Cotler で、Native American とスペイン文化を融合、細部にまでこだわったホテルだった。 1929 年の大不況の後に建てられたにもかかわらず、不況からの再生期、鉄道と Route 66 が人気となって、多くの旅人達が町を訪れ、町も活気が出てきて、ホテルも人気だった。

が鉄道のお客も次第に減っていき、1957 年にホテルは閉鎖。 上質の家具などはすべてオークションにかけられ、数年後には空っぽの状態となり、1994 年には取り壊しの案まで出たが、町が断固として反対。どうにか持ちこたえたが、廃墟の状態が続く。
1997 年にアーテイスト Tina Mion と夫 Allan Affeldt がホテルを購入。改装して Mion の作品のための Museum を併設し、 歴史地区の中に、the Mission Revival and Spanish Colonial Revival の建築様式で、2011 年に再オープンした。 「砂漠の中の宝石」とも呼ばれる魅力のホテルは、まるで大邸宅にお招きを受けたかのようで、今大人気となっている。  2003 年 Route 66 Caravan の一箇所に選ばれている。
the National Register of Historic Places に登録
Route 66 ブログはこちら
 

           さりげないホテルの入り口
              2013年9月撮影

          シックなスペイン風の建物
             2013年9月撮影
 

           シックな趣のあるロビー
             2013年9月撮影

     家具や調度品等全てにこだわりが感じられる。
             2013年9月撮影
 

          部屋のあちこちに Artist Tina の絵が飾られていて
                   2013年9月撮影
■ ■Lorenzo Hubble Trading Post & Warehouse■ ■

 Photo courtesy of ”The Road Wanderer”
 http://www.theroadwanderer.net/index.htm
523 W. 2nd St. Winslow
1917 年〜
wikipedia はこちら
1917 年に Hubert & Richardson によって建てられた。
1921 年に Don Lorenzo Hubbell が買い、Navajo Indian との物々交換をするTrading Post にしたが、ここは Hubbell とその家族が経営する 30 箇所以上のTrading Post の一つだったし、ここと New Mexico の Gallup にもう一つある店だけが卸をやっていた。
彼が経営(1928〜1948年)していた Trading Post は「Lorenzo Habble Trading Post」として、白人と Navajo Indian との架け橋的な役目をしていたが、1967 年に閉館となり、以降州立公園が管理。2002 年改修工事をし、the Winslow Historic District への西の入り口となっていて、 Winslow Visitor Center として利用されている。
the National Register of Historic Places に登録
Route 66 ブログはこちら

 
■ ■ Winslow Theater ■ ■
115 N.Kinslay Ave. Winslow  HP はこちら
ギフトショップ「Roadworks」の隣。 1927年に700席のアール・デコ調の劇場としてオープン。演技のできるステージを持ち、映画の上映もしていた。 Nace & Richards のチェーンが所有し、 Meisel Et Sullivan のパイプオルガンがあって、 1950 年代までは時々演奏されていたが、1955 年に火事で燃えてしまった。

La Posada Hotel のオーナー Allen Affeldt によってどうにか再建され、 2005 年に劇場としてオープンし、映画の上映、そして不定期ではあるが音楽のライブ、地域の活動などに使用されている。
the National Register of Historic Places に登録
Route 66 ブログはこちら

シックな雰囲気
2013年9月撮影
■ ■ Standin' On the Corner Park ■ ■
1997 年〜  HP はこちら  Kinsley Ave.と2nd St. の角にある Winslow で一番有名な所。
Jackson BrowneとGlenn Frey が作り、 Eagles が歌ってヒットした「Take it Easy」の歌詞の中に出てくる情景を再現した街角。

2013年9月撮影
 
Eagles が 1972 年に最初のヒットシングル「Take It Easy」を掲げてやってきた時、 「Standing On a Corner in Winslow Arizona」の詩を好意的に書き加えてくれたが、その後 I-40 によるバイパス化で、ダウンタウンの町は寂れてしまった。
Winslow 生まれで 「Roadwoks Gifts & Souvenirs」のオーナー Diane Patterson, が立ち上がり、1997 年には「La Posada Hotel」が改装され、再オープンする事となり、又 the National Register of Historic Places に登録されたことで、町の活性化の気運が高まってき、 1999 年に公的な管理の下、「Standin' on the Corner Park」が出来たが、 2007 年 Park 内の歴史ある J.C. Penny-Pasco Building が火事になり、 残った壁1枚が背景のようになって、雰囲気のある街角となっている。
the National Register of Historic Places に登録
Route 66 ブログはこちら

        2013年9月撮影
 

             2013年9月撮影

    大火で焼けて残った壁1枚の横に表示板             2013年9月撮影
 
2006 年の映画「Cars」は、地方の U.S.Route 66 沿いのビジネス努力に再度注目。Winslow 自体は画面に出てこないが、たくさんの町の中に「La Posada Hotel」や「Roadworks」などがクレジットされている。
 

   ■ Winslow Post Office ■
              2013年9月撮影

   ■ Roadworks ■
         2013年9月撮影

   ■ Museum ■
         2013年9月撮影

     ■ 教会 ■
            2013年9月撮影

<<WEST EAST>>

≫ 続きを読む

Arizona  2014/07/23  route66jpinfo

Flagstaff


Route 66 in Arizona
 
= Flagstaff =
<<WEST EAST>>
Coconino County  HP はこちら   wikipedia はこちら
標高 2106m、Coconino National Forest の中央に位置し、自然に囲まれて「City of Seven Wonders」とも呼ばれる町。
California への古い道はあったが、1871 年に Edward Whipple が泉の近くに saloon をオープン。1876 年頃から、少し筒住む人たちが増えてきて、 この年が Flagstaff の町の起源と言われている。
1881 年には鉄道も通り、次第に牛と材木の搬出の中心地となっていった。 1899 年には Northern Arizona University が開校。 以降 北 Arizona の文化、教育の中心地となっている。

Grand Canyon に近いこともあり、冬はスキー、夏は避暑地として人気があり、 20 世紀以降、観光が重要な産業となっているが、 今は進歩的な町として若者に人気で、たくさんの若者があちこちから来て住みついている。
町には Route 66 の名残がたくさん残っているし、町の人達の思い入れもあって、 Flagstaff のメインストリートの名前を「Santa Fe Ave.」から元の「Route 66」に戻した。
Route 66 ブログはこちら
■ ■ Flagstaff Train Depot & Visitor Center ■ ■
1 E. Route 66 Flagstaff  1926年〜  wikipedia はこちら
歴史ある駅舎で、Visitor Center も兼ねている。 以前は the Atchison, Topeka and Santa Fe Railway Depot だった。
Route 66 ブログはこちら

2013年9月撮影
■ ■ Hotel Monte Vista ■ ■
100 N. San Francisco St., Flagstaff, AZ  1927 年元旦創業の老舗ホテル。 HP はこちら
完璧に往時の状態に改装され、今でも一般の旅行者達をもてなし続けてくれている。 往時、その魅力に惹かれて、 John Wayne, Bing Crosby, Harry Truman, などのたくさんの有名人が訪れた。

ここは公的資金で建てられた数少ないホテルの一つ。 1924年当時、Flagstaff にホテルは少なく、 出稼ぎに町へやってくる人達を滞在させ続けるのが極めて難しかったので、 V.M. Slipher がホテル建設の為の地域的な債券設立のキャンペーンをやり始め、 Flagstaff の旅行社も協力。市の債権が条例化され、ホテルが建てられた。
オープン後は旅行者だけでなく、 「Meet me at the Monte V」( Monte Vで会いましょう).と言うフレーズで、地域の人々にも人気の場所だった。 又初期にはホテルの105 号室から 「Mary Costigan’s daily three-hour radio show」( Mary Costigan の毎日3時間ラジオ放送)を流していたが、 彼女はアメリカ女性初の放送のライセンスを取った女性だった。

禁酒法時代のさなかにオープンしたホテルは、法に従わずに, 酒の密売をラウンジでやっていたが、1931 年地域役人に急襲されて閉館。 禁酒法が廃止された2 年後に再開した。 又1935 年〜1940 年の 5 年間にはホテルのラウンジとロビーは 町でたった1軒だけの広いレンジのスロットマシンをやれる場所として人気だった。
1940、50 年代、西部劇の映画がアメリカの庶民に人気が出始め、 Sedona や Oak Creek Canyon 近くで100 本以上の映画が撮影された。 撮影中は Hotel Monte Vista が宿泊所となり、 Jane Russell, Gary Cooper, Spencer Tracy, John Wayn, Bing Crosby などのスターが宿泊した。 又映画「Casablanca」の1シーンはこのホテルの1室で撮影されている。
the National Register of Historic Places に登録。
Route 66 ブログはこちら

2013年9月撮影
■ ■ Hotel Weatherford ■ ■
23 N. Leroux, Flagstaff, AZ 86001  1898年〜  HP はこちら  wikioedia はこちら
Flagstaff で忘れてはならない影響力のあったもう一人の市民が John Weatherford。 彼は1896,7 年の大火で街全体が壊滅状態となり、すべての建物をレンガで築くよう条例が出された時に、レンガと道の舗装のための石事業で、財をなした。最初は1階が雑貨屋で2 階に家族が住むための家だったが、3階建てに改装し、 1900 年の元旦にこの素晴らしいホテルをオープンさせた。 このホテルは、大統領から一般庶民まで幅広く受け入れ、今でもその姿勢を保ち続けている。
Route 66 ブログはこちら


2013年9月撮影
■ ■ the Museum Club ■ ■

2013年9月撮影
3404 East Route 66 Flagstaff, AZ,  1930 年〜   HP はこちら
町はずれにあるログキャビンの大きなライブハウス。 Flagstaff の名所で、 巨大なギターのネオンサインと二股に分かれた入り口の木が有名。
「Zoo Club」又は「The Zoo」とも呼ばれているが、 本当の名前は「Dean Eldredge Museum」で、 1931年に、剥製師 Dean Eldredge が子どもの頃の夢を実現。 Dean の約 80 体の剥製, そして約 30000 点を越すコレクションを見せる場として建てた。 がすぐに彼は亡くなり、1936 年にサドルメーカーのオーナー Doc Williams が買って、すぐに Night Club をオープン。すると連日札止めが出るほどたくさんの旅人達、地域の人たちが訪れ、繁盛した。
何年もの間に、オーナーは何度か変わり、 1950 年代までは、荒くれ者達のたまり場となっていたが、その後 Night Club、レコーデイングスタジオ、Roadhouse として生き残ってきた。

有名なギターのネオンサイン
2013年9月撮影

1963 年、スチールギタリスト Don Scott が club を買い、Club としてライブを行い、 すぐに Club は Western Swing Circuit の地図上に記される有名店となり、 彼がなくなる1973 年まで、ビジネスは成功し続けた。 1978 年に Martin and Stacie Zanzucchi が買いとり、 剥製の山、シカの角や Club の歴史を見せるコーナーを作り、広くして再開。 今日、Museum Club は Roadhouse、ダンスクラブとして有名で、 夜のエンターテインメントとカントリーウエスタンで最高のライブを提供してくれている。
the National Register of Historic Places に登録
Route 66 ブログはこちら
  ♪ Flagstaff は素敵な街 ♪

こんな光景が似合う街
2013 年 9 月撮影

       2013年9月撮影
新と旧が見事にミックスされて。
2013年9月撮影

       おしゃれな「Big Daddy's Cafe」
              2013年9月撮影
  2013年9月撮影

<<WEST EAST>>

≫ 続きを読む

Arizona  2014/07/23  route66jpinfo

Williams


Route 66 in Arizona
 
= Williams =
<<WEST EAST>>
Coconino County HP はこちら wikipedia はこちら
標高 2062 m の Grand Canyon の入り口の町。元々は Native American の多種族の何千年もの間の本拠地だった所で、 1500 年代の半ばに、スペイン人の探検家達が偶然 Grand Canyon を見つけ、それから少し筒町が出来ていった。

19 世紀の初めは毛皮ビジネスが盛んで、 毛皮商の一人、Old Bill と呼ばれた北 Arizona で最初の探検家 Williams Sherley Williams が、1876 年に西部開拓の為の鉄道建設に関する多くの揉め事を問題解決したので、彼の名を取って、町は Williams と名づけられた。 1881 年には郵便局、1882 年には鉄道が敷かれ、町は繁栄していった。
最初は他の西部の町同様、 雑で騒々しい町だったが、 状況を変える為に、幌馬車を使った Grand Canyon への観光旅行が始まり、 又1901 年、Santa Fe 鉄道は Williams から Grand Canyon まで鉄道を延ばした。今でも Grand Canyon へ向かう旅人達はランドマークである「Fray Marcos Hotel」から出発するが,ここが「Harvey House Hotel」の本部となっている。

1926 年に Williams を通る Route 66 が完成。 それに伴い、Route 66 沿いに多種多様なビジネスが立ち上げられ、 又1968 年には鉄道がサービスをやめると、余計車の交通量が増え、 たくさんのビジネスが出来た。

1984 年10 月13 日に、1941 年から作られていたI-40の全線の中の Williams の最後の 6mile がバイパス化されたので、 この日が I-40 のバイパス全線開通の日とされ、 これにより Route 66 最後の町として、又々人気が出てきた。
バイパス化で寂れてしまった Route 66 沿いの町はたくさんあるけれど、 Williams は、Route 66 のイメージをそのまま保ち続け、 当時の状況、ハートを伝えられる町として生き残ることを目的に、 町の景観を往時の状況にしていく保存に力を入れ、 又 Grand Canyon への入り口の町として、今だに寂れることなく繁栄している。
Downtown の通りは the National Register of Historic Places に登録。
Route 66 ブログはこちら

 

町の入口に立つ案内板。
「Gateway to the Grand Canyon」と。

2013年9月撮影
■ ■ Grand Canyon Railway ■ ■
HP はこちら wikipedia はこちら
1901 年に Santa Fe 鉄道が敷いた Williams から Grand Canyon の南の端までの103 km の鉄道。当時の運賃は$3.95。
1980 年代には「Grand Canyon Railway」として 美しい「Frey Marcos Harvey House and Depot」から Grand Canyon への観光列車を走らせ始め、人気となる。
the National Register of Historic Places に登録
Route 66 ブログはこちら

「Grand Canyon Railway」の蒸気機関車。
2013年9月撮影

今走っているデーゼルカーの客車。
2013年9月撮影
 
■ ■ Williams Depot ■ ■

2013年9月撮影
233 N Grand Canyon Boulevard 1908 年〜、 wikipedia はこちら
A&P Railroad によって1885 年に建てられ、1904 年まで使われた。 今は商工会議所として使われている。 今の駅舎は1989 年、改装され、 歴史ある建物は今も利用され、一般公開されている。
内部には Grand Canyon Railway のチケット売り場と直営のショップがある。 ここのショップは Route 66 関係の雑誌や地図が充実しているし、 季刊の「Route 66 Magazine」も指定代理店以外ではここでしか手に入らない。
the National Register of Historic Places に登録
Route 66 ブログはこちら
■ ■ Frey Marcos Harvey House ■ ■
 

2013年9月撮影
235N.Grand Canyon Blvd. Williams 1908 年〜 HP はこちら 関連 HP はこちら
Williams Depot の中にある「Frey Harvey Hotels」は質の高いサービスを提供するホテルとして、 19 世紀後半から20 世紀初頭にかけて、Santa Fe 鉄道の経営の中で重要な部門だった。
当時、鉄道が西へ西へと延びるにつれ、 Frey Harvey Company は Santa Fe 鉄道沿いに、Harvey House として知られるホテル&レストランチェーン店を作り、その質の高い食事とサービスで有名になっていった。ここもその Harvey House の一つで、ここが本部となっている。

Fray Harvey Company はホテルの名前を初期の探検家達の名前から取って付けていて、 このホテルは16世紀の始めに南西部を探検したスペイン人宣教師 Marcos de Niza にちなんで名づけられている。 1908 年に 22 室のホテルとしてオープン、隣接する駅も同年にオープンし、後に21室が追加された。
当時は鉄道、牧場、森林の労働者でいっぱいの町の中では、ダイアモンドのように輝く存在で、モダンなアメニテイを備えていて、人気となった。
ここで働く有名な Harvey Girls 達はダサい田舎者達にもちゃんとサービスをし、 白に黒のラインの入った制服を着た彼女達が、この辺境の地に礼儀と愛嬌をもたらしてくれていた。
the National Register of Historic Places に登録。
Route 66 ブログはこちら
■ ■ Williams Historic Business District ■ ■
the National Register of Historic Places に登録。
全盛期の雰囲気たっぷりのカフェやレストランが並び、歩くだけで楽しくなる通り。

 

往時の面影をそのまま残している美しい街並み。
2010年4月撮影
 

■ Cruiser's Cafe 66 ■
233 W Route 66 Williams
レストランとギフトショップ。 外も内も 50 年代満載で有名なカフェ。 テラスでは時々ライブ演奏も。
Route 66 ブログはこちらこちら&こちら

2013年9月撮影

■ Old Smoky's Restaurant ■
624 W. Route 66 Williams
1946 年〜
Williams の町の入り口にあるレストラン。
5種類のホームメイドのパンとフレンチトーストの朝食が人気。

2013年9月撮影
 

■ Red Garter ■
売春宿として有名だった所も、今は Cafe&B&B に。
HP はこちら
Route 66 ブログはこちら

2013年9月撮影




■ Get Your Gifts On Route 66 ■
おしゃれな雑貨などがたくさんある大きなおみやげ屋さん。見ているだけでも楽しい!
もちろん Route 66 グッズも沢山!

2013年9月撮影
 
■ Twisters 1950's Soda Fountain ■
関連HP はこちら
50年代の雰囲気をたっぷりと味わえる Diner。テイクアウトも出来、又お店の横のテラス席ででも。
停めてある車のかっこ良い事!
看板、ネオンサインもおしゃれ!
Route 66 ブログはこちら

2010年9月撮影
<<WEST EAST>>

≫ 続きを読む

Arizona  2014/07/23  route66jpinfo